マラソンで転倒、靴を踏まれ… 「コケちゃいました」五輪の歴史に残る名言は「言い訳で…」意外な真実――マラソン・谷口浩美
予想外の転倒と“勘違い”をしたまま進んだレース
退院から1か月ほどで仕上げた肉体、金メダル獲得に向けた青写真を胸に、自信を持ってスタートした。ペースはそれほど速くなく、大きな集団となって迎えた20キロ過ぎの給水地点でアクシデントは起こった。集団を崩しにかかった日本の中山竹通がスパート。他の選手も追いかける形となったことで、隊列が乱れた。給水テーブルの近くを走っていた谷口は右手でボトルをつかんだ瞬間、割って入ってくる形となったモロッコの選手に左かかとを踏まれ、転倒。靴も脱げた。
「中山さんが動き出したのを見て、追いかけなきゃという思いでした。給水も取れた、と思ったら左足が上がってこない。気がついたら転んでいました。日本人というのは礼儀正しくて、給水でも順番待ちというか、前に誰かいたら押してはいけないというのがあるんです。でも海外の選手は“我先に”といった感じで入ってくる。その選手も必死だったんでしょう。もちろん、私が転んだことは気づいていなかったと思います」
運が良かったのは、給水地点の路面が濡れていたこと。とっさに体を捻って斜め向きに転んだことで、左肘と左腰辺りの擦過傷だけで済んだ。すぐに脱げた靴を取りに戻り、履き直してレースに復帰。結果、30秒ほどのタイムロスとなった。
そこからはひたすら前方の選手を一人ずつ抜いていくだけ。30キロ過ぎではトップを走る選手も見えた。「その時に数えて、私は15位だったんです。だから入賞するにはあと5人抜かないといけないと、その時は思ったんです。当時のマラソンは10位まで表彰してくれたので。でもコロンブスの塔に差し掛かった時、急に頭に浮かんだんです。『あれ? 五輪は陸上のトラックも8レーンだし、入賞は8位か!』と。気づかせてくれたのはコロンブスなんです(笑)」
その時点で12位。あと4人抜く必要があり、さらにギアを上げた。「9位ではダメ。入賞しないと何を言っても説得力がない」と気力を振り絞り、何とか8位でゴール。するとレース後、インタビューで取材エリアに呼ばれた。「メダルを獲ったわけでもないのに、なんでだろう。でも、何で谷口はこんなに遅れたんだとみんな思っているはず」。インタビュアーは自身の転倒を知らないと思っていた。だから「事情説明」のために口にしたのが、あの言葉だった。
「コケちゃいました。これも運ですね」
今も日本の五輪史に残るフレーズは、敗れても言い訳をしないスポーツマンシップとして称賛された。だが当の本人は「コケちゃいました、は私としては言い訳ですからね。でも9位で『コケちゃいました』と言っても何もない。8位になったから何となく認めてもらえたのかなと。だから最後はもう入賞、入賞っていう思いで走っていましたね」。