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サッカーで「劇的に伸びた」英語力 元Jリーガー中村亮が米国で起業を決意した瞬間

中村亮氏は自身の経験を出発点に米国へのサッカー留学をサポートしている【写真:株式会社WithYou】
中村亮氏は自身の経験を出発点に米国へのサッカー留学をサポートしている【写真:株式会社WithYou】

サッカーを通じてできた友人と飛躍的に伸びた英語力

 しかし、しばらくして語学学校は、英語に馴染む登竜門としては適していても、決して流暢に話せるようになる場所ではないことに気づく。

「語学学校は英語が母国語ではない人たちが、勉強のために集まってくる場所です。だからネイティブ・スピーカーは先生しかいない。確かに最初から米国人と話すほど根性は座っていないので、外国人と英語で会話をする恐怖心を拭い去るには格好の場所です。でもずっとそこにいたら、たぶんペラペラになるのに10年間くらいかかってしまいます」

 そこで中村は「もっと現地で米国人との会話機会を増やしたい」と考え、同じロス市内の短期大学へ入学した。

「大学で先生が話すスピードを聞いて、語学学校の先生が留学生のために凄くゆっくり話してくれていたことが分かりました。大学だから授業に出席するのですが、ナチュラルに話されると3~4割程度しか聞き取れない。ヴォイスレコーダーを持ち込み、家で何度も聞き返すなど努力を重ねました」

 そして英語習得で大きな転機をもたらしてくれたのは、それまでの人生で武器にしてきたサッカーだった。体育の授業でサッカーを選択した中村は、当然のごとく別格のプレーを見せつける。すると大学のサッカー部から勧誘を受けるのだった。

「僕は一度プロを経験しているので、アマチュアのサッカー部には入れません。でもサッカーを通じて友だちができて、サッカーをテーマに会話も盛り上がる。日常の会話量が飛躍的に増え、日本人が苦手なアウトプットの部分も含めて、英語力が劇的に伸びたんです」

 得意なスポーツをツールにして英語力が伸ばせる。

「これって、凄いことだ!」

 そう思った瞬間に、セカンドキャリアのアイデアが膨らんだ。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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