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44歳で退任→海外初挑戦 日本一2度、バスケ川崎・佐藤賢次前HCが人生の転機で大切にした感情

昨季まで千葉を率いたジョン・パトリックHC(左)に誘われ、44歳での渡独を決断した【写真:Sascha Walther】
昨季まで千葉を率いたジョン・パトリックHC(左)に誘われ、44歳での渡独を決断した【写真:Sascha Walther】

すべての感情を上回った海外バスケを学びたい欲求

 ちなみにパトリックからのオファーを受け、クラブに上記のようなアイデアを提案した当時、ルートヴィヒスブルクにおける佐藤の役職や待遇はまだ決まっていなかった。日本バスケ界の最高峰で5年にわたってHCを務め、2度の日本一を手にした指揮官として、プライドは傷つかなかったのか――。そう尋ねると、佐藤は笑って答えた。

「海外のバスケットに触れたいという思いが一番にあったので、ビデオコーディネーターでも、チームスタッフでも、役職は何でもよかったんですよね。そもそもHC時代から『自分はこうしたいから君たちはこうしてくれ』みたいなものがないと言いますか、最終的な決定は自分がするとしても、コーチングスタッフたちと対等な関係でたくさんの時間を過ごして、たくさん話して、一つのピースとしてチームを作り上げたいという思いのほうが強いタイプなので、プライドが傷つくようなことは全然なかったです」

 6月中旬、佐藤はスペインに留学中だった長男・慎之助くんの中学ラストゲームを見届けた後にドイツへ移動し、クラブの視察と首脳陣との話し合いを経てAC就任が決まった。正式に渡航したのは、それから2か月足らずの8月上旬。ドイツ語の準備もままならぬまま、44歳での海外挑戦が始まった。(文中敬称略)

(後編へ続く)

■佐藤賢次(さとう・けんじ)

 1979年12月14日生まれ、奈良県出身。洛南高、青山学院大を経て2002年に東芝ブレイブサンダース(当時)に加入。11年の現役引退までチーム一筋でプレーした。翌シーズンからアシスタントコーチとして指導者の道に進むと、19年にヘッドコーチに就任。5シーズンで4度のチャンピオンシップ出場、21、22年の天皇杯連覇へ導いた。昨季限りで退任すると、昨年7月にドイツのMHPリーゼン・ルートヴィヒスブルクのアシスタントコーチ就任を発表。川崎に籍を置きながら、新たな挑戦への一歩を踏み出している。

(青木 美帆 / Miho Aoki)

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