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なぜ「日本陸上界の父」はそう呼ばれるのか 今も各地に「織田幹雄」の名…実は「三段跳び」の名付け親でもあった

「織田記念」「織田ポール」「織田フィールド」…今も日本各地に残る名前

 日本陸上界の発展に大きく貢献した織田だけに、その名を冠したものは多い。毎年4月には広島で「織田幹雄記念国際陸上競技大会」が開かれる。会場の広島広域公園陸上競技場には旧国立競技場同様の「織田ポール」が建てられている。

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 昨年の東京世界陸上で練習会場となった代々木公園陸上競技場の愛称は「織田フィールド」。母校早大の所沢キャンパス内にあるのは「織田幹雄記念陸上競技場」。故郷の広島・海田町には海田小など複数の国旗掲揚台が15メートル21センチの「織田ポール」になっている。また、2020年には海田公民館と記念館の複合施設「織田スクエア」も誕生した。

 ちなみに、三段跳びという種目名も織田の発案だった。金メダル獲得当時の英語名は「ホップ・ステップ・ジャンプ」。日本では略して「ホ・ス・ジャンプ」や「ホスジャン」と呼ばれていたが、長い上に分かりにくい。関東学連から「何か日本名を」と相談を受けたのがきっかけだった。

 中国語訳から「三級跳遠」を思いついたが、これも分かりにくい。3回跳ぶことから「三回跳び」と「三段跳び」を提案して「三段跳び」が採用された。現在、英語の正式種目名は「トリプル・ジャンプ」。競技の特性を理解したのは、織田の方が早かったのかもしれない。

 日本初の金メダル獲得から98年、ちょうど100周年となる2028年にはロサンゼルス五輪が行われる。陸上界の発展と後進育成のために尽力した織田幹雄。「日本陸上界の父」の偉業は色あせることなく、今も輝き続ける。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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