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政治に翻弄されたサッカー人生 元Jリーグ監督アルディレスが歩んだ数奇な運命

プレーする英国と母国の間でフォークランド戦争が勃発「人生で最悪の時だった」

 Jリーグでも清水エスパルス、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ、FC町田ゼルビアで監督の経験を持つアルディレスは、裕福な家庭で育ち文武両道を目指す珍しいタイプだった。

「父が弁護士で、中流の上くらいの家庭だった。でも、私はあえてスラム街に行ってサッカーをした。そこは警察も入りたくないような危険な場所だったが、サッカーが上手い私が危害を受けることはなかった。その時の仲間がみんな代表やプロになっていったよ」

 17歳になり、1部リーグでプレーをするようになると父の年収に追いついたが、それでも大学へ進み弁護士の資格を取ろうとした。

「サッカーができるのは、せいぜい30歳代半ばまでだからね。私は大学の成績も良かったが、サッカーも優秀だった。どちらも優秀なレベルに到達すると、やはりどちらかを優先する必要が出て来る。実際に代表に選ばれてからは、勉強をする時間を確保することができなくなった」

 ワールドカップを制した後は、イングランドで初のアルゼンチン出身プレーヤーとして大活躍するが、英国と母国の間でフォークランド戦争が勃発。所属したトットナム・ホットスパーのホーム、ホワイトハートレーンには「オジーがいてくれるなら、フォークランドなんかくれてやれ」と垂れ幕が掲げられた。

「私が育った国と、私が愛する国が戦った。人生で最悪の時だった」

 エリート中のエリートだったアルディレスだが、スラム街に飛び出し、欧州へ渡り、やがて日本と、世界を飛び回り数寄な人生を歩むことになった。

【了】

加部究●文 text by Kiwamu Kabe



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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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