[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

怪我に泣いた“浦和ユース最高傑作” 37歳の元Jリーガー中村祐也が関東2部で歩み始めた監督人生

サッカーJリーグの浦和レッズでプロ選手として歩み始めた中村祐也は、3つのJリーグクラブと2つの社会人チームに在籍し、2021年限りで現役を退いた。引退後は、最後のチームとなったアヴェントゥーラ川口(埼玉)で指導者に転身。今季から監督を任された37歳は、チーム強化に全精力を傾注している。(取材・文=河野 正)

かつて「浦和ユースの最高傑作」と呼ばれた中村祐也。アヴェントゥーラ川口で監督人生をスタートさせた【写真:河野正】
かつて「浦和ユースの最高傑作」と呼ばれた中村祐也。アヴェントゥーラ川口で監督人生をスタートさせた【写真:河野正】

アヴェントゥーラ川口・中村祐也監督インタビュー

 サッカーJリーグの浦和レッズでプロ選手として歩み始めた中村祐也は、3つのJリーグクラブと2つの社会人チームに在籍し、2021年限りで現役を退いた。引退後は、最後のチームとなったアヴェントゥーラ川口(埼玉)で指導者に転身。今季から監督を任された37歳は、チーム強化に全精力を傾注している。(取材・文=河野 正)

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 ◇ ◇ ◇

 浦和レッズジュニアユース時代の2001年、日本クラブユース(U-15)選手権初優勝に貢献。翌年ユースへ上がり、高校2年でサテライトリーグのレギュラーとなって10試合に出場し、3年生でトップチームに登録された。中村は5つ年下の原口元気(シュツットガルト)が登場するまで、“浦和ユースの最高傑作”と呼ばれた逸材でもあった。

 高校2年の秋、成長期のスポーツ選手に多発する腰椎分離症という疲労骨折を発症。分離箇所は通常1つだが、中村の場合は5か所もあり「めちゃくちゃ痛くて背筋を伸ばせなかった」と言う。翌年トップチームに合流したものの、練習場にすら行けない生活が延々と続いた。

「痛みは感じていたのですが、楽しくて仕方なかったサテライトを続けたい思いが強く、無理をしてしまったのがいけなかった」

 それでもクラブはリハビリ中の中村とプロ契約を交わし、05年にトップチーム昇格。同年10月10日、鹿島アントラーズとのサテライトリーグでようやく復帰したが、痛みと恐怖心を抱えながらのプレーだった。「完治しても故障前の自分の水準からはほど遠く、サッカーの感覚も戻っていない状態でした」と、もどかしかった往時を回想する。

 3年間で公式戦出場はゼロ。厄介な怪我が“最高傑作”の出世の邪魔をした。「こうしておけば良かった、という思いがすごくありますね。怪我に対してもっと様々な行動を起こしていたら、違う状態でサッカーができていたのかもしれない、って考えたりします」と残念がった。

 08年にJ2湘南ベルマーレへ移籍。横浜FC戦でJリーグにデビューしたが、1年目は途中出場5試合に終わる。反町康治監督が就任した2年目は3トップの一角で起用され、コンサドーレ札幌戦でJリーグ初得点。初先発したセレッソ大阪戦からレギュラーの座をつかみ、44試合でチーム最多の14得点をマークしJ1復帰に寄与する。

「やっとサッカーをやれている、戦えているという気持ちでした。攻撃的な戦術が自分に合っていたし、怪我をしてからは自ら打開する動きよりワンタッチプレーやゴール前で仕事をするスタイルに変えた。それが得点にもつながったと思う」

1 2 3
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集