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南ア撃破の地に「雰囲気が似ている」 ラグビー大野均、日本代表のW杯8強突破を確信する理由

フランス観光親善大使の任命式には大野均さん(中央)、フィリップ・セトン大使(右)、フランス観光開発機構のフレデリック・マゼンク駐日代表(左)が参加した【写真:吉田宏】
フランス観光親善大使の任命式には大野均さん(中央)、フィリップ・セトン大使(右)、フランス観光開発機構のフレデリック・マゼンク駐日代表(左)が参加した【写真:吉田宏】

「ブライトンの奇跡」に繋がった2007年W杯での第一歩

 代表時代のハイライトといえば、2015年大会で南アフリカを撃破した“ブライトンの奇跡”が挙げられる。だが、日本ラグビーのレジェンドは、敢えて2007年大会を「一番思い出深い」と言う。

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「日本代表に入った時に、W杯は1回くらい出られたらいいなと思って臨んだのが2007年の大会でした。結果は1勝もできず1分3敗に終わり、その時にW杯で勝ちたいという欲が出てきたんです。ボルドーでの最終戦でカナダ代表と引き分けた時は、日本代表が負け以外の結果を残したことで、自分たちはどこか達成感があったんです。けれど日本に帰ってきて、いろいろな報道を見て、やはり勝たないと日本でラグビーは盛り上がらないなと認識させられたことで、勝ちたいという欲を感じさせてくれました」

 真顔で語った話の最後に「最終戦が終わって飲んだボルドーワインが美味しかった思い出もありますね」と無類の酒好きならではのオチもつけていたが、フランスでの最終戦のドローから、本気でW杯で勝つための第一歩が始まったというのは、長い代表経験を持つ均さんならではだ。

 それまでの5回のW杯で、日本は通算16試合で1勝15敗。1991年の第2回大会でのジンバブエからの1勝のみという状態だった。W杯は負けて当たり前、思い出作りのようなものというマインドをどこかに持ちながら臨んだ均さんにとっては、まさに横っ面を引っぱたかれた大会になった。

 もちろん2007年大会を挙げたのは、親善大使としての気配りもあっただろう。だが、均さんの中に、2015年大会という生涯忘れられないであろう金字塔を打ち立てた大会があるのと同時に、その悲願までの旅が始まった2007年のフランスは忘れることのできない瞬間だったのも間違いない。

 多くの苦節や絶望を乗り越えて、どん底から南アフリカからの金星までを経験してきた均さんだが、自らが観光親善大使という立場で迎える大会に挑む後輩たちへの思いを聞いてみた。

「日本代表の合宿参加選手が(5月24日に)発表されましたが、本当に楽しみなメンバーだと思います。いろいろな意見はありますが、ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)が最終的に選ぶ33人に日本のラグビーを背負って戦ってほしい」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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