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トルシエから「いきなりビンタされて…」 北嶋秀朗が日本代表の練習で受けた衝撃

全国高校サッカー選手権で2度頂点に立ち、プロ入り後も公式戦通算367試合84得点をマークしてJ1リーグ優勝も経験。日本代表にも選出された北嶋秀朗(44歳)は、開幕30年を迎えたJリーグの歴史にその名を刻むストライカーの1人だ。サッカーへの情熱を燃やしながら歩んできた道と、指導者としての今を描くインタビュー。今回は2000年のアジアカップ日本代表に初招集された当時を振り返る。“赤鬼”と呼ばれたフィリップ・トルシエ監督から熱血指導を受け、日本のトップ選手と一緒にプレーしたことで、選手として新たな発見があったという。(取材・文=小宮 良之)

フィリップ・トルシエ元日本代表監督から北嶋秀朗は様々な刺激を受けたと振り返る【写真:Getty Images】
フィリップ・トルシエ元日本代表監督から北嶋秀朗は様々な刺激を受けたと振り返る【写真:Getty Images】

北嶋秀朗「指導者10年目の視点」第4回、初めての日本代表での戸惑いと刺激

 全国高校サッカー選手権で2度頂点に立ち、プロ入り後も公式戦通算367試合84得点をマークしてJ1リーグ優勝も経験。日本代表にも選出された北嶋秀朗(44歳)は、開幕30年を迎えたJリーグの歴史にその名を刻むストライカーの1人だ。サッカーへの情熱を燃やしながら歩んできた道と、指導者としての今を描くインタビュー。今回は2000年のアジアカップ日本代表に初招集された当時を振り返る。“赤鬼”と呼ばれたフィリップ・トルシエ監督から熱血指導を受け、日本のトップ選手と一緒にプレーしたことで、選手として新たな発見があったという。(取材・文=小宮 良之)

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 2000年アジアカップ、フィリップ・トルシエ監督が率いる日本代表のメンバーに、北嶋秀朗は初めて選ばれた。ウズベキスタン戦で初舞台を飾ると、小野伸二からのスルーパスを受け、ゴールへ流し込んでいる。異例の代表デビュー戦ゴールだった。

「8点目(8-1で日本の勝利)だったんで、向こうはもうやる気がなくなっていましたよ」

 北嶋は、そう言って謙遜した。しかし、代表でゴールを決めるには、運も、実力もいる。そもそも、選ばれる選手はわずかだし、なかなか得点が生まれない選手も少なくないのだ。

 当時のアジアカップFWも、高原直泰、柳沢敦、西澤明訓、久保竜彦と錚々たるメンバーだった。つまり、そこに割って入る力があったからこそ、その舞台に立てたのだ。

 では、なぜ北嶋は代表に定着しなかったのか。

「アジアカップの代表メンバーに選ばれて、“マジでこの人たち凄い”って思い知らされました。このままだとダメだなって」

 北嶋は言う。一番衝撃を受けたのは、トルシエ監督だった。

「練習中にトルシエがいつものように激しく身振り手振りで何か言っていたんですけど、あまり分からなくて、ポカンとしていたんです。そうしたら『おまえ、聞いているのか!?』と、いきなりバシってビンタされて、なんなんだって(笑)」

 戸惑うことはあったが、サッカーの仕組みを初めて肌で感じたという。

「トルシエの代表で、初めてサッカーを教わった感じがしました。“ああ、サッカーってこう考えるべきなんだ”って、腑に落ちるところがあって。トルシエは、“ガチガチ戦術で選手をがんじがらめに”っていう印象を持たれがちですが、自分はすごく面白いなって感じました。こうなったらこういう選択があって、というのを提示してくれて」

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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