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トルシエから「いきなりビンタされて…」 北嶋秀朗が日本代表の練習で受けた衝撃

キャリア晩年、後輩に対して示した学ぶ姿勢

「ストライカーとしては、尖っていたと思います。だから、外国人選手はストイチコフとか、有名なFWがたくさんいましたけど、全員ライバルだったんで、喋っていないです。こいつらに負けねぇ、お前がこっちなら、俺はこっちなって、人から学ぶとかはなかったです。へりくだるのは嫌だったから。でも、ずっと自分はどうすべきか、というのは考えていました」

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 キャリア晩年、北嶋は自身の棘を抜いて学ぶ姿勢を示している。

「最後は自分も人から勉強しないと、これは限界だと思いました(笑)。ちょうど工藤(壮人)、酒井(宏樹)とか、サッカーを教わった世代がユースから入ってきて。なんでそんなサッカー知ってるの? 教えて、教えてって(笑)。“プロでやっていくのに変化、成長しないといけない”とはずっと思っていたし、そこはやり続けてきたことだったので」

 代表から外れた要因は、17シーズンと長きにわたってJリーグで愛されるストライカーを作ったのだ。(文中敬称略)

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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