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日本サッカーの聖地、埼玉スタジアム誕生秘話 候補地は21か所、なぜ今の場所に建設?

JR大宮操車場跡地や浦和競馬場も建設候補地に浮上

 相川会長は92年2月18日、3万人以上の県営サッカー場建設とW杯会場地として立候補するよう県に請願。県も立候補を決め、7月24日にW杯日本招致委員会へ出願書を出した。

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 建設候補地は21か所あり、JR大宮操車場跡地や浦和競馬場なども非公式ながら取り沙汰された。

 さいたま新都心駅が開業する前、JR京浜東北線大宮駅と与野駅の間にあった広大な土地が操車場跡地だ。交通の便は文句なしだが、サッカー場やサブグラウンドのほか駐車場などの付帯設備を勘案すると、敷地面積が足りなかったようだ。浦和競馬場を県営サッカー場建設予定地に移転し、競馬場にサッカー場を新設する私案も練られていた。

 県営サッカー場とW杯誘致の序幕に関わった畑知事は、92年7月の知事選には立候補せず政界を引退。代わって自民党最高顧問だった土屋義彦氏が県政を引き継ぐのだが、6万人超のサッカー場をはじめ、W杯誘致やW杯決勝会場候補地として最後まで横浜市と争えたのは、参議院議長や環境庁長官などを歴任した土屋知事の政治力がものをいった。

 県はスタジアム建設予定地を浦和市東部の野田地区に決め、92年9月30日、4万人以上収容のサッカー場建設などを盛り込んだ『第1次基本構想』をW杯日本招致委員会に提出。土屋知事は初登庁から2か月半後の同日、「交通アクセスや集客などの条件のほか、浦和市の強い要望を考慮した」と21あった候補地の中から、野田地区を選定した理由を述べた。

 国内15開催候補地に選ばれた埼玉は、94年10月31日に収容人数を4万から6万人に拡大する計画案を発表。湊和夫副知事らが同年のアメリカW杯を視察し、開幕戦や準決勝、決勝会場に名乗りを上げるなら、4万では足りないとの判断に加え、6万人以上の専用サッカー場を切望する声が次々と寄せられたからだ。

 10月7日に陳情した相川宗一浦和市長に続き、同11日には日本サッカー協会の長沼健会長が「国内最高の収容能力を持つサッカー専用スタジアムとしていただきたい」と要望。同12日にも埼玉県協会の相川曹司会長から嘆願書が届いている。

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