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日本サッカーの聖地、埼玉スタジアム誕生秘話 候補地は21か所、なぜ今の場所に建設?

2002年日韓ワールドカップ(W杯)の開催から、今年で20周年を迎えた。日本列島に空前のサッカーブームを巻き起こした世界最大級の祭典は、日本のスポーツ界に何を遺したのか。「THE ANSWER」では20年前の開催期間に合わせて、5月31日から6月30日までの1か月間、「日韓W杯、20年後のレガシー」と題した特集記事を連日掲載。当時の日本代表メンバーや関係者に話を聞き、自国開催のW杯が国内スポーツ界に与えた影響について多角的な視点から迫る。

日韓W杯では日本VSベルギーなど4試合が開催された埼玉スタジアム【写真:Getty Images】
日韓W杯では日本VSベルギーなど4試合が開催された埼玉スタジアム【写真:Getty Images】

「日韓W杯、20年後のレガシー」#27 埼玉スタジアムを巡る物語・前編

 2002年日韓ワールドカップ(W杯)の開催から、今年で20周年を迎えた。日本列島に空前のサッカーブームを巻き起こした世界最大級の祭典は、日本のスポーツ界に何を遺したのか。「THE ANSWER」では20年前の開催期間に合わせて、5月31日から6月30日までの1か月間、「日韓W杯、20年後のレガシー」と題した特集記事を連日掲載。当時の日本代表メンバーや関係者に話を聞き、自国開催のW杯が国内スポーツ界に与えた影響について多角的な視点から迫る。

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 W杯へ向けて各地にスタジアムが新設されたが、そのなかで大会後に最も存在感を示してきたのが埼玉スタジアムだろう。6万人超の収容人数を誇るサッカー専用スタジアムとしての強みを生かし、W杯アジア予選など日本代表のビッグマッチを数多く開催。また浦和レッズのホームとして、熱狂的なサポーターが彩るスタンドは世界に誇る光景となった。そんな日本サッカーの“新たな聖地”は、どのような経緯で誕生したのか。完成に至るまでの舞台裏に迫った。(取材・文=河野 正)

 ◇ ◇ ◇

「最低でも4万人、理想は8万人収容できる国際級のサッカー場を建設したい。駅から500メートルほどの場所に2000ヘクタールくらいの土地がある。(サッカー場への幹線道は)県道路公社でやる」

 1992年4月4日、埼玉県の畑和知事は10年後のワールドカップ(W杯)誘致をにらみ、ぶら下がり取材でこんな構想を口にした。埼玉スタジアムが誕生する鼓動だ。

 畑知事は在職中、営団地下鉄(現・東京メトロ)の埼玉延伸を要望。南北線が延びて埼玉高速鉄道の終点、浦和大門駅(現・浦和美園駅)ができれば、2000ヘクタールの一角に駅近の競技場を造れると目算したのだろう。幹線道とは、県営サッカー場や東北自動車道の浦和インターに接続し、96年11月28日に開通した新見沼大橋有料道路を指す。

 日本サッカー協会は89年11月、国際サッカー連盟に2002年のW杯開催国に立候補することを正式に伝え、91年6月にはW杯日本招致委員会を立ち上げた。これにより誘致を熱望する自治体は、開催に見合う規模のサッカー場建設に向けて調査に入った。

 埼玉県サッカー協会の相川曹司会長は90年夏、「協会としてもW杯を呼ぶことになるのでメイン会場は東京としても、相応の競技場を造らないといけない。芝の球技場を最低2面、土のグラウンドも1、2面いる。04年には埼玉国体もあるので検討したい」と述べた。

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