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日本サッカーの聖地、埼玉スタジアム誕生秘話 候補地は21か所、なぜ今の場所に建設?

選手の誰もが口にする聖地に立つ喜びと重圧

 早くから専用競技場にこだわった埼玉県協会の要求に応え、県も92年に提出した『第1次基本構想』の段階から専用競技場を立案。6万人拡大計画を発表した折、「ラグビーをはじめ、コンサートなど各種イベントにも対応できる施設とする」との一文もあったが、専用だけは貫いた。

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 これこそ2006年ドイツW杯アジア予選から、東京・国立競技場に代わる日本代表の“聖地”となった一番の要因だ。6万3700人収容の専用サッカー場は臨場感が違う。

 2008年2月6日、タイとの南アフリカW杯アジア3次予選初戦に先発した山瀬功治は、「スタンドとピッチの距離が近く、規模も大きいので声援を頭の上から感じるんです。この感覚はなかなか味わえない。声援や拍手のシャワーを浴びているようで、すごく気持ちいい。日本代表の大きな武器になっていますね」と、ピッチに立った感覚を説明した。

 田中達也は09年3月28日、バーレーンと戦った南アフリカW杯アジア最終予選第5戦に先発。「他のスタジアムとは違い、神聖で特別な場所ですよね。あれだけ大勢の声援を身近に受けるので、より責任感とプレッシャーを感じてプレーしていた。その分、勝った時の達成感は大きく、その後はなんでもできる思いでした」と聖地での喜びと重圧を語った。

 日本がW杯に初挑戦したのが、明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)で行われた1954年のスイス大会アジア予選だ。W杯予選で国立競技場を初めて使ったのが62年のチリ大会で、日本が初出場した98年のフランス大会まで16回予選会場となった。国立競技場以外では神戸ユニバー記念競技場で3度、西が丘サッカー場でも1度開催している。

 ジーコ監督率いる日本は04年2月18日、オマーンとのドイツW杯アジア1次予選初戦で初めて埼玉スタジアムに参陣し、久保竜彦の劇的ゴールで白星スタート。同スタジアムでは1次予選で3連勝し、最終予選でも2連勝を収め、1試合を残して3度目のW杯出場を決めている。

 埼玉スタジアムは歴代監督のお気に入りとなり、ドイツ大会から今秋のカタール大会予選まで、28試合戦って23勝4分1敗という出色の戦果を挙げている。

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