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W杯“つま先弾”と鈴木隆行の生き様 「勘違いしない」男が愚直に追った微かなチャンス

W杯で力のなさを痛感、年俸半減でも欧州移籍を選択

 ベルギー戦を2-2で引き分けて勝ち点1を手にした日本代表は以降、ロシア(1-0)、チュニジア(2-0)に2連勝して出場2大会目にして初めて決勝トーナメントに進出する。しかしラウンド16においてトルコに0-1で敗れ、快進撃は終焉を迎える。鈴木は全4試合に出場して1得点。大会を通じて感じたのは、海外でプレーする必要性だった。

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「ワールドカップで感じたのは、自分の力のなさ。とにかく全力でやって、チームが勝てばいいとは思っていました。日頃から世界と戦う舞台に慣れていないと、積極的なプレーの選択ってできない。そういうプレーって成功するかしないかのリスクを伴う。でも自分に力がないし、そういう選択がなかなかできない。だからいいプレーも生まれない。海外に出ていかなきゃいけないなっていうのは大会中、痛切に思ったことでした」

 ベルギーとの縁がここでまたつながるのだから、人生とは面白い。ベルギーリーグ1部の強豪ヘンクから大会後にオファーが届き、レンタル移籍を果たす。

 条件提示は当時、鹿島で得ていた年俸の半分以下。しかし条件など関係なかった。「欧州でチャレンジできるなら」と迷うことなく飛び込んだ。

 望んでいた環境がそこにはあった。

「当時はかなり外国籍の選手がいて、みんな負けたくないと思っている。チーム内の競争が凄くて、いい選手がいっぱいいました。試合になかなか出られなくて苦しかったですよ。でもこの競争に勝っていかないと、目指すトップレベルに近づいていけないし、日本代表で世界と戦っても勝てない。この環境で全力を尽くす。それだけでしたね」

 UEFAチャンピオンズリーグにも出場して、アシストを記録している。しかしながら活躍は単発に終わり、レギュラーの座を奪うまでには至らなかった。レンタル期間が終了し、再び鹿島に戻ることになる。自分に力が足りないことは分かっている。ただプレーと同じように、あきらめる気持ちなどなかった。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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