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「ボクシングにすがるしかなかった」 村田諒太は人生を懸けた、ただ「強く」あるために

何度強打を受けても打撃戦を貫いた村田(右)【写真:荒川祐史】
何度強打を受けても打撃戦を貫いた村田(右)【写真:荒川祐史】

世界王者の中で「格下」と言われた日々「反骨心が湧いてくる」

 強豪・南京都高(現・京都廣学館高)に進み、アマチュア高校5冠を達成。仲間から信頼され、勝てば喜ばれた。その中で「ビビッて実力を出せなかった」と唇を噛んだ試合もある。常に強くあることを求め、世界選手権銀メダル、ロンドン五輪金メダルを掴みとった。

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 世界的に層が厚く、とてつもない猛者が揃うミドル級。17年10月に初めて世界王座に就いたが、WBA世界ミドル級の「正規王座」だった。さらに上の「スーパー王座」に君臨していたのがゴロフキン。世界には4団体があり、王者たちの中でも村田は格下とされてきた。

「実際、米国で自分の名前が売れているかと言われたら、『WBAのレギュラー(正規)なの? ふ~ん。カネロ、ゴロフキンと違うだろ。あいつらがトップだろ』と思われている。第1の男、第2の男、第3の男でもないという自分の立場を見ると、反骨心が湧いてくる」

 18年10月、2度目の防衛戦でロブ・ブラント(米国)に敗れた。1200発超のパンチを浴びる完敗。直後は引退するつもりだった。聖地ラスベガスで晒した弱い自分。「あのボクシングが集大成でいいのか。それは嫌だ。後悔したくない。自分に永遠に嘘をつくことはできない」。9か月後に感動の王座奪還。やっぱり、強くありたかった。

 だから、今回のビッグマッチが決まった時に強調した。

「彼を倒して僕が最強だと証明したい。やっぱりカッコいいとか何とかって、僕の中ではクソどうでもいい。強いのを見せたいんですよ。自分がボクシングを始めたガキの頃の気持ち。それを思ってボクシングを始めた。別に顔のカッコよさ、頭のよさとかは人より下でいいわけです。でも、強いのを見せたくて自分はやってきた」

 有名になった、何万人の客を集めた、ラスベガスで試合をした、何億円を稼いだ、そんなことで自己肯定感は得られない。五輪金メダルからプロで世界王者に。ミドル級で初防衛成功。数々の「日本人初」の偉業にも「大した記録じゃない。そんなん別にそそられない」と興味は湧かなかった。

 村田はただ、「強さ」を表現したくて生きてきたのだ。

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