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“ミライモンスター”から五輪出場へ 24歳女子ジャンパーを刺激した高梨沙羅の言葉

「世界ジュニア選手権でメダルを取った頃には少し違づけた感じはある。私自身の勝負はこれから」と力強く語った
「世界ジュニア選手権でメダルを取った頃には少し違づけた感じはある。私自身の勝負はこれから」と力強く語った

左手首骨折、記憶がなくなる脳震盪も経験、それでも競技が「好きです」

 だが、五輪への道は険しい。今年7月のサマージャンプから始まる新シーズンで国内ランキングのポイントを稼ぎ、W杯派遣メンバー6枠に入っていかなければ、代表(4人)に選ばれる可能性はない。今季も思うような成績を上げられていない渡邉にとっては茨の道だが、高校時代につかんだ感覚を取り戻せれば、上位メンバーと戦える自信はあるという。

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「沙羅さんは小さい頃から別格でしたが、私も世界ジュニア選手権でメダルを取った頃には少し近づいた感じはありました。まずは右膝を万全にして、体も作り直します。海外には30代で活躍する女性ジャンパーも少なくありませんし、私自身の勝負はこれからだと思っています」

 ブレることのない意志の強さを感じ、最後に「純粋にジャンプ競技が好きなんですね」と感想を伝えると、渡邉は「好きです」と即答して続けた。

「小3で始めた時から1度も止めたいと思ったことはありません。膝だけでなく左手首を骨折したり、記憶がなくなるほどの脳震盪も経験しましたが、それでも恐怖心はありません。トップレベルでの競技は8年後の五輪で終わりと思っていますが、一般では50代、60代でも飛んでいる人はいます。私もできるだけ長く、飛ぶという素晴らしい感覚を味わっていたいです」

 文字通り、ジャンプの魅力にハマり続けている24歳。長く苦しい時期の経験さえもプラスに転換し、4年後、8年後に大輪の花を咲かすつもりだ。

◆渡邉陽(わたなべ・みなみ)

1997(平成9)年9月5日、札幌市生まれ。札幌西野第二小3年から競技を始める。札幌西野中から札幌日大高、東海大北海道に進学。左利き。最長不倒は126メートル。身長164センチ。家族は両親。

(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)

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