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山縣亮太、9秒95に見た記者たちの好感 「何とかしてあげて」と天に願い、吹いた神風

布勢スプリント決勝でフィニッシュした瞬間、山縣は電光掲示板に視線を送った【写真:奥井隆史】
布勢スプリント決勝でフィニッシュした瞬間、山縣は電光掲示板に視線を送った【写真:奥井隆史】

担当記者に“より”好かれる理由「繊細な短距離走を言語化する能力が高い」

「何とかしてあげて」というつぶやきには、そんな背景を知る記者の願いが込められていた。私は陸上専門の記者ではなく、山縣に深くは触れたことがない。でも、取材現場に行くと、彼が担当記者に好かれているんだなと感じさせられる。もちろん他の選手が好かれていないわけではないし、それによって報道に差が生まれることはない。

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 山縣が“より”好感を持たれているのはなぜなのか。長年陸上を担当してきた記者はこう語る。

「山縣選手は理路整然と、丁寧に話してくれます。記者は書くのが仕事。基本的には相手から伝えられたことを書くか、重ねてきた取材から汲み取るしかありません。難しく、繊細な短距離走のことを言語化する能力が高いと思います。普通なら感覚論で終わってしまいますが、それも言葉にするのが上手。話を聞いていてシンプルに面白いと感じさせられます。競技人生にもドラマがある。もちろんずっと強い選手もいいのですが、波のある過程に共感性があります」

 近年の山縣は苦難の連続だった。19年6月の日本選手権直前に肺気胸を発症し、同11月には右足首靱帯を負傷。保存療法を選択し、回復したところで20年にも右膝蓋腱炎を抱えた。日本選手権は2年連続欠場。最もつらかった時間は、20年から21年にかけての冬だという。度重なる怪我の真っ最中ではなく、意外にも回復に向かった時だった。

「それまでの肉離れとかは治る感じがあったけど、膝は治っても同じ動きをしたらまたやってしまう。完治しないので、動きから変えないといけない。大改革が必要だった。ちょっと膝が痛い時に『なんか俺、続けられないかも……』という気持ちがあった」

 心は折れかけたが、頭を使うことだけはやめなかった。「怪我は走りの課題を突きつけてくれるもの。しっかり克服できれば良い走りができる」。今年4月の織田記念国際で復活優勝。思えば、この時の取材エリアも熱かった。

 怪我や病気に苦しんできた。間近で見てきた記者たちは、そんな時代もよく知っている。

 9秒95を出した直後の会見。山縣は風に恵まれなかった時期を振り返った。「風は運。これまで行いが悪かったんですかね(笑)」。ペンを握る記者たちも一緒になって笑っていた。決して「運」だけで打ち立てた記録じゃないとわかっているから。

(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)

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