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目は毎日腫れ、体はガリガリ バレーボール迫田さおり、SOSを出せなかった“あの時”

迫田は2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪に出場【写真:Getty Images】
迫田は2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪に出場【写真:Getty Images】

「私の人生は、バレーボール人生で出会ったみんなに支えられ、作り上げられた」

「昔の私は、普段からチームメートと会話をしなくても、プレーには何ら影響しないと考えていました。でも、あるときから他愛もない会話をするようになると、コミュケーションがうまくできるようになりました。チームメートに甘えるって、こんなに気持ちが楽になるんだと気づいたら、リーグに入っても痩せなくなった(笑)。ちゃんと体は反応するんですね」

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 気が付いたのは選手生活も後半に入ってから。引退するわずか2年前だったという。

「そのうち、東レでも全日本でも、バレーボールと向き合うことができた。同じバレーボールでも全然違うな、こういうやり方もあるんだなぁと気づきを得て、ふと、『私、バレーボール好きじゃん』って思えました。それからは誰と話をしていても『バレーボール、大好きです!』と自信を持って言えるようになった。たった2年だったとしても、そのことがうれしかったですね」

 きっと、チームメートやスタッフが一人でも欠けていたら自分はダメだった、と語る。

「背中を押して、引っ張って、転げ落ちてもみんなが起き上がらせてくれる、そういうチームにいたからプレーを続けられました。仲間に支えられたから今の自分があり、今の考え方もある。私の人生は、バレーボールで出会ったみんなに支えられ、作り上げてもらったと思っています」

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(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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