世界一になった“闘う医学生”の涙 「まさに死ぬ気で…」低い自己肯定感、自分を変えた薬理学の講義――柔道・朝比奈沙羅
柔道女子78キロ超級で2018年と21年の世界選手権で金メダルを獲得した朝比奈沙羅(フクデン)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。獨協医科大学に在学する“闘う医学生”としても知られる柔道家。幼少期から文武両道を実践し、競技と学業を高いレベルで両立してきた。その裏にはどんな想いと紆余曲折があったのか。約1年半ぶりに柔道の試合に復帰、28歳となった元世界女王が偽らざる胸の内を明かした。(取材・文=長島 恭子)

柔道・朝比奈沙羅インタビュー
柔道女子78キロ超級で2018年と21年の世界選手権で金メダルを獲得した朝比奈沙羅(フクデン)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。獨協医科大学に在学する“闘う医学生”としても知られる柔道家。幼少期から文武両道を実践し、競技と学業を高いレベルで両立してきた。その裏にはどんな想いと紆余曲折があったのか。約1年半ぶりに柔道の試合に復帰、28歳となった元世界女王が偽らざる胸の内を明かした。(取材・文=長島 恭子)
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3月16日に行われた柔道東京都選手権兼全日本選手権予選会。元世界女王の朝比奈沙羅は、約1年半ぶりに試合復帰を果たした。朝比奈のIJF(国際柔道連盟)世界ランキング最高位は2位(17、18年)。しかし、その後は順位を下げ、休養前の2023年の時点で62位になっていた。
「自分はずっと『結果を出す』ことをメインに考え、柔道をやってきました。でも、近年は結果を出し続けることができなくなってしまった。『何のために自分は頑張っているんだろう?』と思うようになり、しばらく畳を離れようと決断しました」
小学2年生で柔道を始めてから約18年。怪我で戦線離脱しても道場に行かない時はなかったが、この1年半、道衣を身に着けたのはわずか2回。「畳から離れてみれば、きっとまた柔道をやりたくなるに違いない」。そう考えての決断だった。
「ところが現実は、柔道がなくても毎日、充実した生活を送れる自分がいた。競技と向き合う気持ちが弱まり、心の中の炎を失う『怖さ』を感じました」
今、試合に出たらどんな気持ちになるのだろう――。朝比奈は、再び道衣に身を包んだ。2025年の年明けから約3か月の準備期間を経て臨んだ大会の結果は、2回戦敗退。しかし、試合を振り返る表情に落胆の色はない。

「おそらく、全く歯が立たなかったら競技を引退したと思います。でも、勝てた試合だと思える手応えだったし、悔しかった。今はもっと強くなりたい、もう少し頑張ってみようという気持ちです。1年半休むという決断は、私の人生において最も大きな決断だったと思います」
現在、獨協医科大学に通う朝比奈は、スポーツ界において、文武両道を体現する選手として知られる1人だ。
両親ともに医療従事者。「小さい頃から医療の現場が身近だった」朝比奈は、子どもの頃から医師を目指した。同時に、中学時代から柔道全日本シニア代表の合宿にも参加。「柔道と学業の両方を頑張りたい」と、志望大学は医学部のある柔道の強豪校に絞った。
「ところが、ほとんどの大学関係者から『競技人生は短い。柔道か学業、一本に絞ったほうがいい』と、言われました。そんななか、東海大学の山下(泰裕)先生(現・東海大学教授、柔道部師範)だけが『そういう考えは面白いね』という風に言ってくれた。その言葉を聞いて、人の夢を応援できる大学に行きたいという気持ちがすごく強くなりました」
当時はリオデジャネイロ五輪(2016年)を控えていた時期。大会出場を目指し、医学部に落ちても浪人はしない選択をした。第一志望は東海大学の医学部。合わせて同大学の工学部、体育学部などを受験した。
「結果は(医学部に)不合格。合格発表の翌日は工学部の試験でしたが、悔しさで涙が止まらず、答案用紙が見えない。試験どころではありませんでした。自分は小さな頃から、父に『おまえは医者になるんだよ』と言われていたので、言葉が悪いのですが、その時までは『洗脳』されていたようなもの。でも、受験に失敗したことで初めて、『どんなに回り道をしてでも絶対、医師になる』と自ら決意しました」