[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「日本人には日本の食事が一番いい」 130歳まで生き抜くつもりの87歳鉄人ボディビルダーの美学

10月に東京で行われた日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)主催の「第69回 日本男子ボディビル選手権大会(以下、日本選手権)」に、異彩を放つ男がいた。金澤利翼(かなざわ・としすけ)、87歳。年齢・階級無差別で真の日本一を決める大会。金澤は最大60歳以上も年の離れた選手たちと競い合った。本格的に競技を始めたのは20歳だった1956年(昭和31年)。当時はジムもなく、セメントを固めて自作したバーベルからスタートした。これまでの67年間の歩みと、「130歳まで生き抜く」という今後の目標について聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・鉾久真大)

日本男子ボディビル選手権大会に出場した87歳・金澤利翼【写真:中戸川知世】
日本男子ボディビル選手権大会に出場した87歳・金澤利翼【写真:中戸川知世】

コンテストで輝く選手たちを紹介「ボディコンテスト名鑑#42 金澤利翼」

 10月に東京で行われた日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)主催の「第69回 日本男子ボディビル選手権大会(以下、日本選手権)」に、異彩を放つ男がいた。金澤利翼(かなざわ・としすけ)、87歳。年齢・階級無差別で真の日本一を決める大会。金澤は最大60歳以上も年の離れた選手たちと競い合った。本格的に競技を始めたのは20歳だった1956年(昭和31年)。当時はジムもなく、セメントを固めて自作したバーベルからスタートした。これまでの67年間の歩みと、「130歳まで生き抜く」という今後の目標について聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・鉾久真大)

 ◇ ◇ ◇

 出場43選手の平均年齢は43.3歳。最年少が24歳、一番年齢が近い62歳でも四半世紀の差があったが、87歳の金澤は負けじと胸を張った。「気が引けるけどね。でも、出なきゃ勝負になりませんからね。予選で落ちても出ることに私の意義があるわけですから」。2次審査に進むことは出来なかったが、堂々としたステージングで確かなインパクトを残した。

 競技を本格的に始めたのは日本で高度成長期が始まってまもなく、「太陽族」が流行語だった67年前。他の出場選手は全員生まれる前だ。当時はジムはおろか、トレーニング器具も満足に無い時代。セメントを固めてバーベルを自作し、毎日6時間、がむしゃらに上げ下げした。

 元々、競泳の1500メートル自由形で五輪出場を目指していたが断念。「とにかく日本一になろう」と始めたのがボディビルだった。1955年に日本選手権の第1回大会がスタートするなど、ちょうど日本でもボディビルが話題になり始めた時代。見かけた宣伝で存在を知り、「筋肉はあるから」と転向を決心した。

「5年で日本一になるから、5年間私を養ってくれ」。当時20歳。覚悟を決め、両親に頭を下げた。父に何度も反対されたが諦めずに食い下がり、説得。母が毎晩煮てくれた大豆を食べ、自作のバーベルで体を鍛え続けた。約束通り、4年後の1960年には同大会の6代目王者に。63年にも再び日本一に輝いた。

 夢は叶えたが、反対していた父はあまり喜びを見せなかった。それでも金澤は「親がいたから、私の今日がある。養ってくれた御恩は忘れない。そんな苦労があるから、今頑張れるんです」と、67年経った今でも感謝し続ける。

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集