なぜ、井上尚弥とドネアは抱擁できたのか 敗者の清々しい背中は死線を越えた証
「殴る=憎い」ではない、ボクサーが抱擁する理由「相手も死ぬほど苦しいから」
ボクシングは、ダウンという相手を気絶させ合う過酷な競技。一つ歯車が狂えば「死」が訪れることさえもある。
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しかし、終了のゴングが鳴った瞬間には相手と抱き合い、握手をする。笑顔で会話することさえも普通の光景だ。ボクシングを知らない人からすれば、「殴る=憎い」というような構図を頭に浮かべるかもしれないが、実際のリング上はそうではない。試合後、あれだけ殴り合った人と、なぜ抱き合うことができるのか。帝拳ジム代表で元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史氏がこう説明してくれたことがある。
「苦しくて、苦しくてたまらない減量、それまでの大変な練習を自分は乗り越えてきた。リングに上がる前は殴られるという恐怖もあるし、リングに立てば一人になる。そういういろんな苦しみを乗り越えてリングに立った。でも、それは相手も同じなんですよ。
階級という同じ条件の中で、勝つことを目指して戦った。自分が死ぬほど味わったきつい思いを、相手もしていると思えるから、相手に敬意を払うことができるんです。だから、あれだけ殴り合っても試合後に相手と笑顔で話せるんです」
軽量級の新旧スター対決。井上は「世代交代になる」と宣言した。両者とも勝てば得るものが大きい代わりに、負けて失うものも大きい。世界王者はとてつもなく多くのものを背負って戦っている。
9日には、井上が激闘の代償として右目の眼窩底と鼻の2か所を骨折していたことを自身のSNSなどで公表。ドネアは、この投稿を引用する形で勝者にメッセージを送った。「手術の必要がないと知り、安心した。そしてもちろん、傷が癒えるように!」。相手の怪我を心配し、かつ手術の必要がないことに安堵したようだった。井上は言う。
「気持ちの面で凄く受け取ったものがある。言葉では表せない。拳で語っていることが多いので、言葉では語れないですね。36分間のぶつかり合いで感じたものが多い。ドネアだから話せることもあるし、36分間で実はあの時ああ思っていた、こう思っていたとか聞いてみたいですね」
濃密な36分間。一時代を築いたレジェンドと交わした“拳の会話”。死線を潜り抜けた2人が、ボクシングの魅力を伝えた時間だった。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)