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「こんなにレベル高いのか」 憧れのスペイン移籍初日、乾貴士のサッカー観を変えた衝撃

エイバル時代が「サッカー人生で一番楽しかった」と振り返る【写真:徳原隆元】
エイバル時代が「サッカー人生で一番楽しかった」と振り返る【写真:徳原隆元】

スペインが日本人選手の鬼門と言われ「逆に気楽だった」

 2011-12シーズンにドイツ2部で30試合7得点の成績を収めると、翌年に1部フランクフルトへ移籍。1年目にブンデスリーガで33試合6得点と活躍したが、2年目以降はチーム戦術にフィットできない時期もあり、出場機会が減ったことで落ち込む時期が続いた。

「特別、好きでもない国にサッカーをしに来たけど、何しに来てるんやろって思いましたね。自分のほうが上手いのに、なんでこいつらが試合に出て、自分が出られへんのやって思っていましたもん。ほんとストレスがヤバかったです。でも、不思議と日本に帰ろうとは思わなかった。試合に出られない悔しさはあったけど、中途半端で帰るのはもっと嫌だった。やっぱり、最終的にスペインでプレーしたいと思っていたので」

 ドイツで苦しみながら4年間を過ごした後の2015年夏、ついに念願だったスペインのクラブ、エイバルからオファーが届いた。

「スペインからオファーが来た時は、一切の迷いなく決めました。ここで行けなくなったらヤバいと思って、オファーが来た時に自分から監督に移籍させてほしいと言いに行きました。監督は『俺は良いと思う。何ができるか分からないけど、助ける時には助ける』と言ってくれたんです」

 乾は海外に出る時に考えた自分のやり方を貫き、チャンスを得たのである。

 憧れのスペインだったが、練習初日に大きな衝撃を受けた。

「スペインでやれる、試合に出て活躍したいという思いからモチベーションが高かったですけど、初日の練習でビックリしました。エイバルは、僕が入る前年に2部に落ちているチームだったんですけど、こんなにレベル高いんかって思いました」

 乾がスペインに渡る前、多くの日本人選手がスペインでプレーしたが大きな活躍ができずに終わっていた。中村俊輔もスペインに移籍したが、活躍できずに終わり、「スペインが一番難しい。日本人にはお薦めできない」と語っている。乾の耳にもこれまで何人もの日本人選手が挑戦したが、その壁を打ち破れず、結果を出せずに終わったという話が入っていた。

「そういう話は知っていましたけど、まったく気にならなかったですね。逆に気楽でした。どうせ無理なんだろうって思われているし、期待もされていないと思っていたからプレッシャーもなかったです。チームの選手はみんな上手かったし、いい奴過ぎてやりにくいとか1度も思ったことがなかった。自分が思うようにプレーできたからこそ、結果にも繋がったのかなと思います」

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乾 貴士

サッカー元日本代表 
1988年6月2日生まれ、滋賀県出身。野洲高2年時に“セクシーフットボール”と呼ばれた攻撃的なサッカーで高校選手権初優勝。2007年に横浜F・マリノスでJリーグデビュー、翌08年のセレッソ大阪への期限付き移籍を機に香川真司とのホットラインを確立し飛躍した。11年夏にドイツ2部ボーフムへ移籍すると、翌シーズンからは同1部フランクフルトでプレー。15年にはエイバルと契約し、念願のスペイン上陸を果たす。リーガ・エスパニョーラで通算6シーズンを戦い、166試合16得点はともに日本人選手の最多記録。C大阪への復帰を経て、昨年7月に清水エスパルスに加入。2年目の今季は自身14年ぶりのJ2を戦う。日本代表通算36試合6得点。18年ロシアW杯では2ゴールを奪い、日本のベスト16進出に貢献した。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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