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「滅多に会えない父」への想いが原動力 中3でスペイン挑戦、21歳逸材が歩む異色のバスケ人生

中学時代は部活動とクラブチームを掛け持ち

 岡田は県内外の強豪中学への進学も検討した上で、幼稚園の頃から在籍している静岡大学教育学部附属静岡中に進み、同校バスケ部、そして父が立ち上げたクラブチーム「SHIZUOKA GYMRATS」を掛け持ちすることを選んだ。ここでの岡田の歩みも非常にユニークだ。

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 静大附属静岡中は難関高校進学を目指す生徒が多く集う国立の中学校でありながら、「制服なし」「宿題なし」「校則ほぼなし」という独特な校風を持ち、部活の参加も生徒それぞれの判断に大きく委ねられていた。

 さらに中学2年の春、上級生たちが最後の大会を終えると土曜以外の練習が全日参加自由となり、チームとしての活動がほぼなくなった。入学時から部活動を「クラブでの学びを補う場」と捉えていたものの、強豪でめきめきと力をつけている同世代のライバルたちの姿に焦りを感じていた岡田は、「これ幸い」とさらに意欲的に自主練に励み始めた。

「僕にとってクラブチームのデメリットは練習時間が限られてしまうこと。練習が毎日あるわけじゃなかったし、始まるのは部活の練習が終わってからだし、公共の体育館を借りているから自分で自由に練習できる時間もあまりない。でも最後の1年は部活の時間帯にほぼ1人でコートを使えたので、すごく助かったというか。朝早く来てシューティングをしたり、学校の周りをランニングしたり、自分でいろいろ内容を考えてやっていましたね。外のコートが割り当てられる日もあったんですが、僕は外でプレーするのがあまり好きじゃなかったので、バレー部やバドミントン部が練習をやっている時に、使っていないリングを使わせてもらったりしていました」

「自分がチームを勝たせる」と強い気持ちを持ってプレーし、ミニバス時代からの仲間でもあるチームメートを巧みに導いた岡田は、3年の春の大会でなんと県大会優勝を達成。「最後の大会の一個前の大会だし、運も良かったので」と岡田は謙遜したが、「自分で考えて行動する力をつけることを大切にしてくれた学校で、頭を使ってバスケをやれたのは、今考えたら正解だったなと思います」と中学3年間を総括した。

 ちなみにクラブチームでは、拠点を日本に戻し、コーチ業に軸足を置いた父に厳しい指導を受けたという岡田。思春期ならではの、少し照れくさいエピソードも明かしてくれた。

「当時は親の言うことを素直にやりたくない時期だったので、お父さんに反抗して、練習を止めちゃった時もありました。プレーがうまくいっていないとどんどん話が聞けなくなって、よく怒られていました」

 そんな2人も気づけば落ち着いた関係になった。節目節目では1対1で対決するというが、聞くとこれにも微笑ましいエピソードがあった。

「『お父さんルール』みたいなのがあって、どうやっても僕が勝てないようになっているんですよ。だから『やろう』と誘ってくるのは、いつもお父さんです(笑)。小さい頃からボコボコに負けていて、3年前ぐらいの冬にやっと勝てました。今はたぶん勝てると思うんですけど、どっちも負けず嫌いだから折れるまで終わらないし、僕しか折れないし、だいたいケンカになっちゃうので自分からやろうとは言いません(笑)」

 まだ海外挑戦が珍しかった時代にアメリカに渡った父の冒険心と負けず嫌いの血を受け継ぎつつ、岡田は父とは異なる「自分だけの道」へと歩みを進めることになる。

■岡田大河 / Taiga Okada

 2004年5月23日生まれ、静岡県出身。174センチ・71キロ。アメリカを拠点にプロ選手として活動していた父の影響を受け、小学1年からバスケを始める。中学3年の9月にスペインへ渡ると、セントロの育成チームでプレー。3年目にはU18所属ながら、スペイン4部に所属していたセカンドチームでプロデビューを果たす。23年にはフランスの強豪ASモナコと契約。U21を主戦場にトップチームにも帯同した。また同年のU-19ワールドカップに日本代表として出場している。25年10月、特別指定選手(プロ契約)として川崎ブレイブサンダースに加入した。

(青木 美帆 / Miho Aoki)

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