引退稲本潤一に小野伸二が「あー負けた!」 欧州で叫んだ22年前の夏、天才が抱いた「エリート」への畏怖
川崎移籍で「馴染めるのか」という懸念も…
ハットトリックの活躍から7年半後の2010年1月、J1川崎フロンターレは稲本の獲得を発表した。フラムのレンタル元だったアーセナルから数え、7つの欧州クラブを渡り歩いた稲本は30歳になっていた。まさかの国内復帰、しかも古巣ガンバ大阪ではなく川崎を選んだことも驚きをもって報じられた。川崎の番記者だった自分にとってはその情報を事前につかめなかった恥ずかしさはあったが、それと同時に感じたのは「適性」だった。
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当時はまだJ1優勝がなく、カップ戦を含めて“シルバーコレクター”という伏兵的存在だった川崎。しかし、サポーター、選手、スタッフ、そして社長までもが“ノリ”がよく、地域密着を地でいくクラブだった。「果たして稲本はこのクラブに馴染めるのか」。懸念は大きかった。
だが、一つの大会が潮目を変えた。同年6月に行われた南アフリカW杯。日本代表メンバーに稲本とともに選ばれた中村憲剛は、スイス・ザースフェーでの合宿中、当時川崎の番記者だった自分のもとに目を輝かせながら近づいてきた。
「いや~、この合宿で稲本潤一という男と本当に仲良くなれたんだ。ホント、最高だよ。W杯で一緒にやっていくうえでも、今後川崎に戻ってからも、この日本代表は意味がある戦いだったと思えるんじゃないかな」
中村は自らのことを「年代別代表もない勤続疲労のない選手」と言っていた一方、稲本のことは「エリートだからね」と小野と同じフレーズを使っていた。川崎での存在感や実績は中村の方が圧倒的に上。それでも中村は稲本への尊敬を欠かすことはなかった。
そんな稲本も気がつけば、川崎のチームカラーに馴染んでいた。中村は「こういうところもある人なんだな、と。でもよく考えれば海外であれだけやってきた選手。順応性がないはずがないよね」と笑った。
小野と中村という2人のレジェンドから一目置かれた稲本。日本サッカーを熱狂の渦に巻き込んだ「エリート」の記憶は色褪せない。
(THE ANSWER編集部・瀬谷 宏 / Hiroshi Seya)