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異例の五輪決定持ち越し 男子100kg級が「日本柔道の弱点」と言われる理由、長い苦難の歴史とは

欧州勢の強さが圧倒的な100キロ級、伝統的に「軽重量級は日本の弱点」

 1964年の東京大会以来当たり前のように全階級で出場してきた日本だけに、鈴木監督も「最低限の目標として、全階級で出場を果たさなければならない」と悲痛な声。現実的には大陸枠もあるため、出場なしにはならないだろうが「アジア枠は考えていない」と、これまで通りに世界ランクで出場権を得ることを目指していった。

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 17年から世界ジュニアの成績が加算されるようになり、同大会で優勝している新井のランクはこの大会の準優勝を加えて大きく上昇する。それでも「27位から30位くらい」と同監督。「まずはランキングを出場資格を得られる順位まで上げる。そのために、(ランキング)ポイントをとれる選手を残す」と鈴木監督。今後は新井とウルフに絞ってポイント対象大会に派遣し「出場権を獲得することが100キロ級に与えられた課題」とまで言った。

 100キロ級の苦難は、今に始まったことではない。五輪柔道の階級が現在の7階級になったのは1980年モスクワ大会(1984年までは無差別含む8階級)から。95キロ級だった当初から「軽重量級は日本の弱点」と言われていた。

 小柄なアジア勢を中心に争われることが多い軽量級は、日本にとっても得意階級。最重量の100キロ超級(以前は95キロ超級)も、山下―斉藤時代から伝統的に強かった。もっとも、欧米人の体格に合い、パワーも生かしやすい100キロ級は欧州勢の強さが圧倒的。絶対的な王者が君臨しがちな超級を避けて階級を下げる強豪も多く、男子では81キロ級(旧78キロ級)とともに連覇がないなど選手層の厚さも際立っている。

 1980年大会以降、1996年大会まで男子で唯一メダルをとったことがない階級だった。初メダルは2000年シドニー大会金の井上康生。ウルフが東京大会で2個目の金を獲得するまで、さらに21年かかっている。不参加だった1980年大会を除く10大会でのメダル獲得数は全階級を通して最少の3個。最多9個(金5、銀1、銅3)の60キロ級の3分の1しかない。

 2014年には世界選手権の100キロ級に選手の派遣を見送る歴史的な“事件”まであった。決断した担当コーチは鈴木監督。批判はあったが、歴史的なカンフル剤が効いてか、翌2015年には羽賀龍之介が世界選手権で優勝。2016年のリオデジャネイロ五輪では、16年ぶりとなる同階級のメダル(銅)獲得も果たした。

「ウルフと飯田では、少し不安な面もあります」と話していた鈴木監督は「少し血がめぐってきた」と18歳新井の急浮上に期待した。監督自身、2004年アテネ大会100キロ超級で金メダルを獲得しながら2008年北京大会では本来の100キロ級で初戦敗退した苦い思いがある。日本柔道が「弱点」を克服できるか、選手の頑張りとともに同級に人一倍こだわってきた監督の手腕も試される。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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