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選手も協会も“負け慣れ”した長い低迷から復活 ハンドボール男子36年ぶり自力五輪切符の足跡

選手も協会もメディアも“負け慣れ”した低迷から復活

 何度もアジアの壁に跳ね返され、選手たちも、日本協会も、メディアも「負け慣れ」していた。終盤、追いつかれるとプレーに思い切りがなくなり、バタバタと自滅するパターンが繰り返されてきた。ところが、今回は違った。安平は、この大会まで代表での出場試合数はわずか2。若手に、苦難の歴史など関係なかった。

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 決勝戦の後半、競った場面で安平がスーパープレー。利き手の右でフェイントをかけると、ボールを持ち替えて相手の守備をすり抜け、利き手とは逆の左でシュート。そんなトリッキーなプレーを、五輪がかかった大舞台で簡単にこなす。プレッシャーのかかる7メートルスローも5本すべて成功し、チーム最多10得点。試合を決める32点目も自ら決めた。

 ベテランの元木は「これまでは、試合終盤に顔面蒼白になる選手もいた。でも、安平たちは平然としてましたね。若手は平気で、かえって中堅やベテランが危なかった。若い選手のメンタルは、すごいですよ」と驚く。若手に引っ張られ、元木や吉野樹(トヨタ車体)らが、ゴールを連発。シグルドソン監督のもとで共通認識を植え付けられた組織的な守備も、選手ミーティングの成果もあって試合ごとに完成度を増した。

 低迷の30年余り、日本ハンドボール界は迷走した。日本協会は人事問題などで揺れ、強化に影響したことも1度や2度ではない。国内リーグも改革が進まず、プロ化もとん挫。他球技の日本リーグとの差は開くばかりだ。前が見えない状況でも、選手たちはブレることなく努力を続け、目標に掲げた五輪出場を果たした。

 東江主将はパリ五輪での目標を聞かれ「まずはベスト8。そこからメダルに挑戦したい」と話した。過去最高の9位を上回るためには「まだまだレベルアップしないといけない」とも言った。30年以上止まっていた時計は、若手を起爆剤とした選手たちの活躍で再び動き出した。今年7月に新体制となった日本協会を含め、日本ハンドボール界がどこまでバックアップできるか。五輪出場は大きな目標だが、ゴールではない。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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