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「目が悪ければメガネをかけるのと同じ」 国枝慎吾、車いすテニスで取り除いた世間とのギャップ

車いすテニスの第一人者である国枝慎吾は“最強”のまま、今年1月に現役を引退した。4大大会は歴代最多の50勝(シングルス28勝、ダブルス22勝)を挙げ、パラリンピックでは4個の金メダル(シングルス3個、ダブルス1個)を獲得。昨年にはウィンブルドンを制して「生涯ゴールデンスラム」(4大大会とパラリンピックで優勝)を達成し、ランキング1位をキープした状態でコートを去る決断を下した。その偉大な功績を称えられ、日本政府から国民栄誉賞が授与された。パラスポーツ選手としては史上初めてだ。

車いすテニスの第一人者である国枝慎吾氏【写真:松橋晶子】
車いすテニスの第一人者である国枝慎吾氏【写真:松橋晶子】

パラスポーツで偉大な功績、伝えたかった共生社会への想いは

 車いすテニスの第一人者である国枝慎吾は“最強”のまま、今年1月に現役を引退した。4大大会は歴代最多の50勝(シングルス28勝、ダブルス22勝)を挙げ、パラリンピックでは4個の金メダル(シングルス3個、ダブルス1個)を獲得。昨年にはウィンブルドンを制して「生涯ゴールデンスラム」(4大大会とパラリンピックで優勝)を達成し、ランキング1位をキープした状態でコートを去る決断を下した。その偉大な功績を称えられ、日本政府から国民栄誉賞が授与された。パラスポーツ選手としては史上初めてだ。

【前編】世界が称賛する前人未到のキャリア 車いすテニス界レジェンドの原点 / 車いすテニス 国枝慎吾氏インタビュー(GROWINGへ)

【後編】頂点で持ち続けた挑戦者の精神 「俺は最強だ!」で払拭した弱気の虫 / 車いすテニス 国枝慎吾氏インタビュー(GROWINGへ)

「2013年にパラリンピックの東京開催が決まってコロナ禍で延期にもなりましたけど『この先もう1勝もしなくていい』と思うくらい懸けていました。東京で金メダルを獲れて、僕のなかでは90%以上ピリオドを打った感じではあったんです」

 2021年9月4日、有明テニスの森公園で行なわれた東京パラリンピック、車いすテニス男子シングルス決勝。国枝はトム・エフベリンクをまったく寄せつけることなく6-1、6-2のストレート勝ち。金メダルの瞬間、咆哮の後にとめどなく流れた歓喜の涙は感動を誘った。

 東京の「金」にこだわったのは、ひとえに車いすテニスの醍醐味を一人でも多くの人に知ってもらいたかったからだ。

「大会は無観客だったので自分が望んでいた満員の観衆の前で金メダルとはいきませんでしたけど、それでもテレビで多くの方々に観ていただいたなという実感がありました。自分のプレーに対する反響だったり、『あの選手のサーブは凄い』とか競技に対してより具体的な反応だったりをいただくようになりましたから。(車いすテニスを)きちんとスポーツとして見られたいという想いは、東京パラリンピックで叶ったところがありました」

 昨年の楽天ジャパンオープンでは多くの観衆が会場に詰めかけている。車いすテニスの認知度が着実に引き上がっていると肌で感じ取ることができた。

 オリンピックスポーツだろうが、パラスポーツだろうが、競技が面白ければ人々を惹きつけられる。国枝はルールで認められている2バウンドで打ち返すのではなく、巧みなチェアワークを駆使して1バウンドにこだわってこれを常識とした。彼の代名詞とも言っていいバックハンドのトップスピンにおいても先駆者であった。

「やっぱりプレーやパフォーマンスで人々を熱狂させたり、面白いと思ってもらったりしないと結局そのスポーツ(の認知度)は広がっていかない。僕はそう思って車いすテニスをやってきたし『ここまでできるんだ。凄い』って認められることが、結果的に共生社会につながるというならうれしい」

 共生社会の実現は、今回の東京オリンピック・パラリンピックでも謳われていたこと。「多様性と調和」は大会ビジョンにある基本コンセプトの1つだった。競技として地道に認知度、価値を高めていくことによって結びついていくのではないかというのが国枝のスタンスである。つまり共生社会の実現のためにパラスポーツがあるのではなく、あくまでパラスポーツの盛り上がりの延長線上に共生社会が自然とリンクしてくるのだ、と。

 彼が言葉を続ける。

「僕は車いすテニスのスクールもやっていたTTC(吉田記念テニス研修センター)で競技を始めました。多分、世界でここだけだったのではないでしょうか。この環境でやってきたのもあって、特別なことをやっている感覚はありませんでした。目が悪ければメガネをかけるのと同じで、スポーツをやるのに車いすが必要だから使うだけ。何も特別なことをやっているわけではないということを僕は競技や大会を通じて伝わればいいなとはずっと思っていましたね」

 長年に及ぶキャリアのなかで彼は少しずつ世間とのギャップを取り除いて、コートに目を向かせていった。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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