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「テセが涙ぐんで喜んだ」 28年前に始まった交流、聖地で生まれた歴代フロンターレ選手の成長物語

今季Jリーグデビューを果たした27番の松長根悠仁。少年時代は『BIG FOOT』を訪れた選手たちを窓から覗き見していたという【写真:宇都宮徹壱】
今季Jリーグデビューを果たした27番の松長根悠仁。少年時代は『BIG FOOT』を訪れた選手たちを窓から覗き見していたという【写真:宇都宮徹壱】

『BIG FOOT』で感じたフロンターレの理想的なサイクルと成長曲線

 なぜ「聖地」と呼ばれる飲食店に、選手のサイン入り写真やユニフォームが飾られていないのか、ご理解いただけただろうか。

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 最初に『BIG FOOT』に通っていたのは、富士通サッカー部の社員選手たちだった。その後はJリーガーに入れ替わり、その中から日本代表も出てくるようになった。それでも田邉にとっては、どんなに選手のステイタスが上がっても「ウチのお客さん」というスタンスに変わりはなかった。

「正直、フロンターレがこんなに大きくなって、何人も代表選手を輩出するなんて、以前はまったく想像できませんでしたよ。こんなことなら、サインをもらっておけばよかったかな(笑)。いやいや、今さらもらうのも変な話ですよね。僕にとって、竹内やベティたちは年の離れた弟、谷口や周平たちは息子みたいなものなんです。最近だと、自分の孫と変わらないくらいの選手も出てきました」

 それが、3月4日の湘南ベルマーレ戦でJリーグデビューを果たした、松長根悠仁。2004年生まれの18歳は、実は『BIG FOOT』のすぐ近所の出身である。

「これはノボリ(登里享平)と(小林)悠から聞いたんだけど、ウチにフロンターレの選手が来ると小学生だった松長根くんは、そこの窓からじっと見ていたそうですよ(笑)。フロンターレの選手を身近に感じられる店として、ウチは当時の子供たちにも認識されていたみたいです」

 そんな『BIG FOOT』の定休日は日曜日。フロンターレがJ1に定着してからは、土曜日の試合が多くなったため、等々力での試合はすっかりご無沙汰になってしまった(2017年の初タイトルの瞬間も、田邉は現地で観ていないそうだ)。

「そろそろ息子たちに店を任せて、土曜日の試合を観に行こうかなとは思っています。昔はたまに等々力に行くと、ハラハラして観ていられなかった。自分の子供の試合を観ているような感覚になるんですよ。分かります? でも、孫くらいの選手ばかりになったら、安心して観ていられるかもしれない(笑)」

 田邉には最近、嬉しいことがあった。プレミアリーグで活躍中の三笘薫が、印象に残っている育成年代の指導者として、久野の名を挙げたのを人づてに知ったからだ。

 かつて店の常連だった社員選手のうち、何人かは引退後も残り、フロントスタッフや指導者としてクラブに貢献している。結果として、数々のタイトル獲得があり、世界へと羽ばたいていく選手たちがいる。川崎フロンターレの理想的なサイクルと成長曲線。それは『BIG FOOT』という限られた空間からも、十分に感じることができた。サイン入りの写真やユニフォームは飾られてはいないけれど、ここ『BIG FOOT』はまさに、フロンターレの「聖地」の1つである。(文中敬称略)

(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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