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高校サッカーが生む「怪物FWいる」 北嶋秀朗も実感、選手権の力とカオスな部活の環境

壁の先に見た景色と名パートナーに出会えた幸運

 そしてプロ4年目、北嶋は西野体制で18点を叩き出した。壁を乗り越えたのだ。

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「(3年目で)Bチームに行かせられた時、西野さんは『これで這い上がることができなかったら、それでいい』って話していたのを、後からコーチに訊きました。指揮官に覚悟があったんだと思います。(4年目は)西野さんに責任を背負わされるようになりました。責任を背負った時に強いって思われたのか。『PKキッカーはお前な』とか、『0-1で負けたら、お前のせいだから』とか。どんどん要求されて(笑)。それで発奮しました」

 ストライカーとして、パサーに巡り合えた幸運もあった。

「10番の大野(敏隆)がいたのは大きいですね。18点も、半分はあいつのアシストで。全部、合わせてくれました。自分は足が遅いんですが、なぜか大野からのスルーパスは受けられたんですよ。他のパサーはタイミングを待てないんでしょうけど、絶妙に自分に合わせてくれていました。大野がいたから、ストライカーとして輝けたんだと思います。FWは、相性のいいパートナーがいることがやっぱり重要ですね」

 結果を叩き出した北嶋は、日本代表にも初めて選ばれている。壁の先で大きな一歩を踏み出したわけだが、再び試練を迎えるのだ。(文中敬称略)

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【第2回】「才能がない」と悟った北嶋秀朗の決断 超高校級FWに衝撃受けた市立船橋での分岐点

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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