[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

高校サッカーが生む「怪物FWいる」 北嶋秀朗も実感、選手権の力とカオスな部活の環境

高校サッカーに今も残る「理屈ではない」部分

 選手権というエネルギーが、選手に与える感情の爆発は計り知れない。特にストライカーに対してはとっておきだ。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 カタール・ワールドカップの日本代表メンバーは、史上初めて登録選手数で高体連とクラブユースが13人ずつで並んだが、FW登録の4人はすべて高体連出身だった。浅野拓磨は四日市中央工、前田大然は山梨学院大学附属、上田綺世は鹿島学園、町野修斗は履正社。ギリギリで代表から外れたFWも、大迫勇也は鹿児島城西、古橋亨梧は興国、西村拓真は富山一、林大地は履正社、鈴木武蔵は桐生一など選手権の舞台に立った、もしくは目指していたストライカーばかりだ。

「ストライカーは育てられない」

 それは一つの真理だが、人材的にはJクラブユースより苦しいはずの高体連でストライカーが出てきている現状がある。

 高体連はあくまで教育の場であって、クラブユースのように最高の選手だけを選び抜き、一貫した指導組織では育てられない。同じレベルの水準の技術がある選手を揃えられないし、どうしても穴となるようなポジションが出る。むしろ、お互いが助け合う必要があり、均一ではない環境であることによって、不条理や理不尽も生まれるが、それを乗り越えて力がつくのだ。

「今も高校サッカーは論理的ではないことが、クラブユースよりもある感じですね。テレビで解説していても、良くも悪くもカオスで。でも、そこから生まれてくる怪物って、いるのかもしれないと思うんです。指導における理不尽を肯定すべき時代ではないですが、理屈じゃないことを解決しないといけないってところが、高校サッカーには残っているんですよね」

 チームが思うようにパスをつなぐことができないなら、サイドバックが下手くそで失点を招いて打ちひしがれているなら、自分の一撃でひっくり返してやる――。高体連には、その気概があるストライカーが生まれる土壌がある。使命感によって、自身も覚醒できるのだ。

 すべてを合理性で片付けられない。

「自分はJリーグでデビューするのは早かったです。2年目には点も取りました。でも、続かなかったですね」

 北嶋はそう振り返るが、“3年目”はプロ選手にとって一つの壁と言われる。

「3年目で西野(朗)監督に一回干されたんです。夏まで干されていたんですが、夏以降にチャンスをもらえるようになって。“これを逃したら、俺は終わる”と覚悟しました。そこで3、4試合連続で得点したんです。自分はダメになりそうな時のほうが強いのはあって、なんでそうなるのかは分からないし、それが市船のおかげか。でも、つかむ時はあるんですよね、ここって」

1 2 3

北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集