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世界的サッカー選手に育てた“母の言葉” メッシ、エムバペも抱く絶対的な愛情と信頼

エムバペやシャビの決断の背景にあった母の言葉

 世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシは幼少期、成長ホルモンの分泌異常で悩まされた。

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 母はメッシのために病院へ付き添い、治療の日々を支えている。毎日ホルモン注射を打つ必要があり、その高額の治療費を稼ぐため、アルゼンチンからスペイン、バルセロナに移住することになったが、母も同行した。人生のすべてを懸けたと言ってもいい。

 メッシは、注射そのものは自ら打てるようになった。周囲も驚く気力の強さだったが、母の存在に安心を得ていたのだろう。その証拠に、母親が他の兄弟のためにアルゼンチンへ帰国した際、調子を悪くしている。

 母と子の絆は深い。

「サッカーを始めた時のことを思い出して。あなたは楽しめばいいの。私たちがついているから」

 メッシが強い重圧を受けても、母はそう言って励ました。

「ママ、誕生日おめでとう」

 2011年の試合、メッシはアンダーシャツにメッセージを書いて、ゴール後にテレビカメラに映した。シャツにメッセージを書くことはルールに抵触し、罰金2000ユーロとなったわけだが、それでも祝福を伝えたかったのだろう。

 母の言葉は重みを持つ。

 例えばフランス代表FWキリアン・エムバペは、レアル・マドリード移籍が内定していた。それをひっくり返したのは、その母の反対だったと言われる。元ハンドボール選手だった母は、スポーツ競技では一体感と規律が大事で、パリ・サンジェルマンにいることが最善と判断したと言われる。

 今や監督としてバルサを率いるシャビ・エルナンデスも、幼い頃から女子サッカー選手だった母の影響を強く受けてきた。自宅でも、日常的にサッカー論を交わす。父も兄弟もアマチュアのサッカー選手だったことで、むしろサッカー以外の会話にはなりにくいほどだったという。

 ただ、母の意見は誰よりも強かった。

 1999年のワールドユース、スペインユース代表として優勝の原動力となったシャビには、ACミランから飛びつきたくなるようなオファーが舞い込んでいる。当時、バルサの下部組織からトップチームでプレーする段階で、父親は「しばらくはジョゼップ・グアルディオラがポジションを渡さないはずだから、悪くないオファーだ」と乗り気だったという。これに母は猛烈に異議を唱えた。

「もし、息子をミラノに行かせるようなことをするなら、私は離婚します」

 母の一声で、バルサ残留が決まった。

 その選択は正しかったことが証明されているため、それ以後、シャビは母に反対されると何も言えないという。2015年にバルサを退団することになった時は、クラブから3年間の契約延長オファーが来ていたのを内緒にしていたほどだ。

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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