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中田英寿を「孤立させなかった」仲間を想う行動 松田直樹が放った理屈を超えた求心力

ジーコと折り合わず逃したドイツW杯、松田が唯一悔やんだこと

 松田は、己の中にある弱さと向き合うことができた。それを打ち負かすのが、彼のメンタルコントロールだった。必然的に生き方は苛烈になって、仲間にも激しい競争を求めた。

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「だせぇか、かっこいいか」

 彼はその間を認めなかった。その明確な行動規範が、彼を「松田直樹」たらしめた。戦う者にはたとえ失敗しても最大の敬意を表し、目の前の敵は叩き潰す獰猛さで挑んだ。

 松田は生き方によって、求心力を放っていたと言える。論理を超えて、その生き様がチームをも引っ張った。立ち姿だけで鬼のような気を放つ選手が、人懐っこく笑ってどこまでも仲間を大事にする。そのギャップが、周りを夢中にさせた。現代風に言うなら、「勝者のメンタリティ」の持ち主だ。

 一方で、強固なメンタリティがあったが故に、簡単には折り合うことができなかった。フィリップ・トルシエ後、ジーコが代表監督になった時に生じた確執も、今となっては「松田らしい」と言わざるを得ない。

「もし俺がいたら、(2006年のドイツワールドカップ、国内組の選手と折り合いがつかなかったと言われる)中田を孤立させたりはしなかった。もっとできたことがあったと思う」

 松田は自分のことで弁解はしなかったが、仲間たちのことで少し悔しそうに言った。

 彼は苛烈にサッカー人生を駆け抜けた。目の前に迫った厳しい戦いをくぐり抜けるたび、艶やかに強くなった。その強さに、自信を得た。

 サッカー選手として不世出のメンタリティだ。

【前編】松田直樹、日韓W杯の残像 「ビビりまくっていた」男を奮起させた、自室に貼った写真

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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