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衝撃の監督更迭からジョホールバルの歓喜へ 川口能活に刻まれたW杯アジア予選の記憶

25年経ったいま川口が振り返るアジア予選激闘の記憶【写真:松橋晶子】
25年経ったいま川口が振り返るアジア予選激闘の記憶【写真:松橋晶子】

熱狂の始まりとなった“ジョホールバルの歓喜”とは何だったのか

 そして物語はジョホールバルの歓喜へとつながる。

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 先制点を奪ったものの、逆転を許してしまう。それでも途中出場の城彰二が放ったヘディングシュートが値千金の同点弾となり、ゴールデンゴール方式の延長戦へ。すると岡野雅行のシュートがゴールネットを揺らし、歓喜の輪が生まれる。

 イランの猛攻を2失点に抑えた川口は、最終予選全試合でゴールマウスを守り抜いた。

「試合を終えてバスに乗ってホテルに帰ったあとは、喜びよりも安堵の気持ちが勝っていました。この試合に敗れたイランは1週間後の大陸間プレーオフに回ってオーストラリアと対戦して勝利したわけですが、とてもタフだなと感心しました。もしイランに負けていたら、はたして日本に余力が残っていたかどうか……」

 約3か月に及ぶ壮絶な戦いがようやく幕を閉じた。Jリーグ開幕から間もなく、サッカー人気は右肩上がりの時代だ。それだけに期待値が高く、比例するようにプレッシャーも大きくなっていった。

 あれからもうすぐ25年の年月が過ぎようとしている。

「当時は若さがあったおかげで過酷な戦いを乗り切ることができました。選手にとって経験はとても重要な要素ですが、経験を積むことにはメリットとデメリットの両方があるのかもしれません。アトランタ五輪やその予選を戦った自信も大きかったですし、当時の自分は怖いもの知らずでした」

 それから8年後のドイツW杯アジア最終予選では、日本の立ち位置が大きく変わっていた。初出場のフランス大会こそ3戦全敗に終わったが、2002年日韓W杯で決勝トーナメント進出。自国開催の後押しを受け、サッカー文化が日本に大きく広まる要因に。

 川口自身も30歳になる年で、欧州でのプレー経験を経てプレーヤーとして完成度を高めていた時期だ。

「2002年W杯の結果やアジア杯連覇を経て、その後の親善試合でも強豪国と良いゲームをできていたので、周囲の期待値が高かったことを覚えています。でもW杯予選と親善試合ではモチベーションが違いますし、どの国も簡単には勝たせてくれません。実際に最終予選6試合はすべて僅差のゲームでした」

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