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五郎丸歩がラグビー界に残せたと誇れること 32年間、楕円球を追った男の自負と深い愛情

五郎丸は2つのW杯について「大きな役割を果たした」と振り返る【写真:荒川祐史】
五郎丸は2つのW杯について「大きな役割を果たした」と振り返る【写真:荒川祐史】

今、振り返る2つのW杯の意義「ラグビーを変えるために大きな役割を果たした」

 1985年生まれの五郎丸。テレビをつければプロ野球が地上波で毎試合生中継される世代で育った。小学2年生でサッカーJリーグが開幕し、2つの競技が日本スポーツ界を牽引する存在に。それが今や「笑わない男」と言われれば、顔も名前もすぐに出てくる時代になった。

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「僕がラグビーを始めた頃、日本代表は世界で勝てないというレッテルを貼られていた。2015年、そして2019年のW杯が終わった後はラグビーをやってみたいという子が増え、ラグビーやっている子も日本代表に入りたいと思ってくれる子が本当に増えた。そこは本当に大きな進歩に感じています」

 五郎丸自身、幼少期は日本代表の憧れについて「まったく思ってもない。そもそもラグビー自体は中学校でやめようと思っていたから」という。しかし、1つ上の兄・亮が佐賀工に進んだことに刺激を受け、その背中を追うようにラグビー選手としてのキャリアは伸びることになった。

 日本ラグビーの歴史は2015年の前と後で大きく変わる。その象徴となった2015年と2019年の2つのW杯の意義について、改めて振り返る。

「2015年は2019年に向けたきっかけ作りの大会。世界的に見ると『日本代表は世界で戦える』と証明できましたが、国内では全くそういう風潮はなく『ラグビーって面白いんだね』という程度にしか過ぎなかった。でも、2019年に日本で開催した時、『ラグビーを子供に習わせたい』という親が多くいたと思うんです。この2大会はラグビーを変えるために本当に大きな役割を果たしたと思っています」

 2019年のW杯で感極まった瞬間がある。それは日本代表の初戦が行われる東京スタジアムが満員になったこと。

「2015年のチームは2012年から始まり、リーダーを中心にみんなから憧れの日本代表にしたいとスタートした。本当に些細なことをフィールド内外で積み重ねる中で2015年は結果こそ出しましたけど、まだまだ憧れの存在になっていなかった。

 目に見えるもの、手にとって分かるものは何もなかったのですが、あの東京スタジアムが満員になった風景というのは、日本代表が憧れの存在になることが目に見える形となった、一つの大きなもの。それが一番、感無量で忘れられないものです」

 今日まで大きな成長を遂げたラグビー界。では、明日からのラグビー界はどうあるべきか。

 五郎丸は2019年W杯3か月前のインタビューで「2015年大会の大会後は子供にラグビーをやらせたくても近くにチームがない。試合を観に行ったらチケット完売なのに(スポンサー招待券などで)空席がある。それは凄くもどかしかった」と大会後の取り組みに警鐘を鳴らしていた。

 今回は大会後のトップリーグで史上最多3万7050人(2020年1月18日・トヨタ自動車―パナソニック戦)を記録するなど、盛り上がった一方で新型コロナウイルス感染拡大によりシーズンは途中で中止。リーグ自体も来季から新リーグに移行するなど、大きな転換点に直面している。

 その現状をどう見るか。 

「やっぱり、企業スポーツの色が強いというのは変わらないところ。応援したいと思っていただける人たちはおそらく多くいるのですが、その受け皿を作り切れていないと、まだラグビー界としての大きな課題だと思います。

 そういった意味では、来季から新リーグが始まりますけど、すべての受け皿作りというものが重要になってくる。あとはユース次世代の子たちを育てること。本当に一つ一つを丁寧に作り上げていかなければと感じています」

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