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障がい者と本気で戦い、変わった人生観 元JリーグGKブラインドサッカー挑戦の告白

ブラインドサッカー挑戦で「変えたもの」と「変わったもの」

 ブラインドサッカー挑戦で、榎本が変えたものと変わったもの、2つがある。

「変えたもの」はJリーガーとして生き抜き、培ったプロ意識だった。

 ブラインドサッカーの難しさはGKのプレーエリアが縦2メートル×横5.82メートルで決まっていること。加えて、キャッチングはもちろん、コーチングの技術には自信はあったが、声をかける相手には視界がなく、一筋縄ではいかない。

 努めたのは、選手の個性の把握だった。「この選手は強く伝えても大丈夫」「この選手は試合に入り込みすぎるので、タイミングを工夫しないと」。ブラインドサッカーは選手の立ち位置が数十センチ違うだけで失点率が変わる。だから、選手とのコミュニケーションを欠かさなかった。プロ選手として「勝つこと」に徹底してこだわり、役割を全うした。

「勝つこと」にこだわったから、チームの弱さも見えた。選手たちは純粋に競技と向き合い、成長を求めていた。その姿は、普段サッカースクールで教えている小学生と変わらないまっすぐさだった。しかし、甘さも感じた。「勝負事に疎いというか、負けても悔しがらないというか……」。それは、プロスポーツの世界で生きてきた者にとって見過ごせなかった。

 なぜ、負けたのか。何が悪かったのか。試合を終えても、あるべき議論に話が及ばない。「日本代表とはいえ、勝負所を意識していた人がいないな、と」。その思いを言葉にしたのは、合流から8か月後の12月に行われたアジア選手権だった。

 結果は過去最低の5位。「メダル獲得」を目標にした東京パラリンピックへ、数少ない国際舞台で不甲斐ない結果。「貴重な機会をいかに大切にできるかという大会で甘さを感じた」と痛感した。全試合を終えた夜のミーティング、本音で思いをぶつけた。

「負けたのは、試合に出ていた俺の責任もある。でも俺の責任でもいいけど、そんな慣れ合いでぬるま湯に浸かっているような奴らとはサッカーをやりたくない。俺がやめるか、お前らが辞めるか、どっちかだ。俺が辞めるのは構わない。俺の目的はみんながパラリンピックでメダルを獲って、その後にブラインドサッカーが発展していくこと。そのために少しでも自分の力が加わるなら、いくらでも助けるけれど、今のお前らとだったら、何も成し遂げられる気がしない」

 この言葉でチームは変わったという。以降、合宿では言わずとも選手同士で言い合う姿が見えた。少なからず、プロ意識が芽生えた証し。榎本は「もし、僕がブラインドサッカーに残せたものがあるとするなら、それは『対話』だったかなと思う」と言う。

「自分の意見を伝えるし、人の意見を聞く。受け入れるし、要求もする。でも、要求するからには自分がやらないと、人には伝わらない。現役の時から、そこは自分の持ち味だと思っていたので、かなり彼らには言ってきた。それが活きるとうれしいかな」

 そして、「変わったもの」は自身の価値観だった。

 ブラインドサッカーは健常者と障がい者が一緒にプレーする、パラスポーツでも珍しい競技。ただ、特に抵抗感はなかったという。挑戦を決めた時は「特に偏見も何もなく、本当にまっさらな状態」だった。むしろ、一緒にプレーしてみると、視界がないのに強烈なシュートを決められたことに驚き、逆に視界がない分、繊細な感性を持っている選手に多く触れたことは新鮮だった。

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