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少しの失敗で殴られ鼻血止まらず「大人になり耳鼻科で骨折が…」 五輪を夢見た女性スイマー「怒ってはいけない大会」に託した願い

大人になり耳鼻科にかかった際に鼻の骨折を知らされたという竹村さん【写真:本人提供】
大人になり耳鼻科にかかった際に鼻の骨折を知らされたという竹村さん【写真:本人提供】

「少しでも油断したら、また殴られる」 大人になって知った事実

 私が本格的に水泳を始めたのは、小学校低学年。私は比較的早い段階で、トップクラスのコーチに指導される機会を得た。

 そのクラスは特に厳しく、少しの失敗でも怒鳴られ、時には殴られることもあった。鼻血が止まらない日もあり、「少しでも油断したら、また殴られる」――そんなプレッシャーの中で練習に通い、毎日プールに向かう時間になると自然に涙がこぼれた。

「期待されているからこそ怒られるんだ」と自分に言い聞かせ、状況を正当化しながら耐えたが、次第に自己肯定感や成長意欲が失われていった。不安ばかりが頭をよぎり、ポジティブなことを考えるより「自分には出来ないんじゃないか?」「水泳選手として向いていないんじゃないか?」と悪い考えが頭を巡るようになっていった。

 大人になり、花粉症で耳鼻科にかかったときのことだった。医師から「鼻血が止まらなかったことはありませんでしたか?」と尋ねられた。

 なぜ、そんなことを聞くのかと思っていたら、鼻を骨折した跡がある、という。その言葉で、私は初めて幼少期に殴られた時、鼻の骨が折れていたことを知ったのである。あの日の出来事が鮮明に蘇り、怪我の深刻さを大人になってようやく理解した。

 怒られながら続けてきた水泳は、「やらされるもの」という意識として私の中に深く刻まれていた。それでも「五輪に出たい」という強い思いと、「今すぐにでも逃げ出したい」という気持ちの間で当時は葛藤していた。

 試合に向かう前にも「怒られたらどうしよう」という気持ちが拭えないままレースに向かうこともあった。そんな思いが頭をよぎる自分は、「自分には競技は向いていないのではないか?」と悩んだことも少なくない。

 揺れる気持ちの中で、私は何を得たのか。現役生活が終わるまで、私はその答えを問い続けていた気がする。

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竹村幸

競泳元日本代表、パラリンピック日本代表コーチ 
 1989年7月25日生まれ。大阪府出身。2014年日本選手権で50m・100m背泳ぎの2冠を達成。仁川アジア大会では50m背泳ぎで銅メダルを獲得。リオワールドカップでは、背泳ぎの全種目で優勝し、3冠を達成した。引退後は競技経験を活かし、イベント登壇や企画運営に携わる。また、2024年パリパラリンピックにも帯同。パラ水泳日本代表コーチとして活動している。JSAスポーツマンシップコーチアカデミー資格、アレルギー対応食アドバイザー、アスリートメンタルコーチ等の資格を持つ。
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