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「箱根駅伝にとらわれていた」 國學院大監督に“気づき”を与えた2人との出会い

気づきを与えた浦野雄平、土方英和との出会い

 前田監督の指導に新たな方向付けをしてくれた選手が、浦野雄平(現富士通)と土方英和(現Honda)だった。

――彼らが、どう気づきを与えてくれたのですか?

「彼らに出会う前は、自分たちは箱根の業界では駒澤大学や東洋大学と異なり、スポーツ校でもなく、陸上の結果もない新興大学だった。そのため、まずは箱根に出続けることが自分の最大のミッションだと思っていたんです。でも、浦野と世界大会に行って、自分が指導している選手が世界で走っているのを見たり、いろんな指導者と話をしたりして、視野を広げていくと、自分が箱根駅伝の指導者になっていたことに気が付いたんです。箱根駅伝だけにおさまっている自分がめちゃくちゃ小さいなと思いましたし、これじゃダメだ、自分のやり方が間違っているのではないかと思いました」

――その気づきから、どう変わろうと思ったのでしょうか?

「世界という括りで見ると、箱根駅伝はすごく小さいんですよ。そこにとらわれて指導するのではなく、選手を信じて、良いところを伸ばしていくような視点に変えていかないと選手は伸びないし、チームも成長しないというところに行きついたんです」

 そのためには全体主義的な視点から、選手個々に目を向けていくことが必要になる。一人ひとりの能力、良さを見極め、そこをプッシュしていく指導方法だ。

「以前は、一つの練習ができないと『君はまだこのレベルだから』っていうことを言っていたんです。でも、今はできなくてもいずれできるかもしれない。選手の可能性を否定するようなことをすると伸びが止まってしまうんですよ。厳しい言葉を投げかけることもありますが、『まだこれからがある』ということも選手に伝えています。良いところを探してあげるという視点を今は重視しています」

 國學院大のポイント練習は、設定を3つのレベルに分けて行うこともある。監督に指示されるのではなく、選手が選択し、それを尊重する形で各自が練習に取り組んでいる。

――最初から選手は、自分で決められるのですか? 特に入学してきたばかりの1年生は高校で管理され、監督に言われたまま過ごしてきた選手が多いと思うのですが?

「自分で考えて、選んで上手くいかなくても、失敗してもいいんですよ。そこで学習し、あるいは先輩に教えてもらったり、見たり、学んだりしていけば自分で考えてやれるようになります」

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前田康弘


 1978年生まれ、千葉県出身。駒澤大学時代に箱根駅伝を走り、4年時には主将として総合優勝を果たした。2007年に國學院大學陸上競技部コーチとなり、09年から監督に就任。着実にチーム強化を進めると、19年の出雲駅伝で初優勝。20年の箱根駅伝では総合3位の成績を収めた。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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