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トラック運転手も経験 「ニッポンの大砲」山本隆弘、部員2人から始まったバレー人生

「0-15、0-15。0-15、0-15」で敗れた初試合「でも、それが楽しいと思ったんです」

 せっかく入ったのだからと、2年春になって練習してみることにした。とはいっても顧問は未経験の英語教師。体育館はバスケ部と女子バレー部に占領されており、練習スペースがない。見つけたのはステージ上。2人の素人が女子バレー部の練習の見よう見まねでやってみた。しかし、「かっこいいな」と思って挑戦した初めてのフライングレシーブで顎を打ち、4針縫う怪我を負った。

 そんな「壇上の男子バレー部」のスタートだったが、新入部員が加わり、8人になった。秋に出場することになった新人戦。2試合戦ったが、惨敗した。しかも、刻まれたスコアは「0-15、0-15。0-15、0-15」。1点も取れずに敗れた。「今まで野球やサッカーを諦めてきた自分なら、ここで辞めておかしくなかった」。ところが、中学2年生の心に宿ったのは、別の感情だった。

「でも、試合で初めてコートに立つことができた。そこでみんなで一つのボールを追いかけた。それが楽しいと思ったんです」

 これが、バレーへの情熱の芽生えだった。最初に立てた目標は、練習場所の確保。「3年秋までに女子バレー部に勝って練習場所を取ろう」。プライドも捨てた男子バレー部は一致団結。猛練習に励み、練習場所をかけた勝負で女子バレー部に勝ち、悲願を成就。知らず知らずのうちに着実に力をつけ、市大会3位で地区大会に出場。目標のために努力し、達成することの楽しさを知った。

 すると、一つの転機が訪れた。入学当初、158センチだった身長は卒業する頃には、なんと34センチも伸びて192センチに。3年間、実に1か月に1センチ近いペースで成長。しかも、貴重なサウスポー。未完の大器に目をつけた県内屈指の強豪・鳥取商から声がかかった。基礎もなってない状態だったが、将来性を感じた監督は1年からレギュラーに抜擢。ここで、一気に才能が開花した。

 インターハイに3年連続出場し、花の春高バレーも経験。U-18日本代表、全日本ジュニアを経験するなど、世代屈指の選手となった。「バレー選手になって、将来は五輪に出たい」。そんな大志を抱き、入学した大学で一度、バレーを辞めた。

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