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「タン!タン!パーン!あれは運じゃないけんね」 久保竜彦が覚醒を望む次代センターFW上田綺世ゴールの理由

日本―ベトナム戦を見守る久保竜彦【写真:荒川祐史】
日本―ベトナム戦を見守る久保竜彦【写真:荒川祐史】

「森保さんは一番勝ちたいんやっていうのを選手に見せる」

 森保さんはもう6年目に入るんやね。

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 本物の負けず嫌いやから、あの人は。普段の状況でもそう。選手の時しか知らんけど。自分がベストを尽くすために酒もマージャンもやらんし。(入団後の広島時代は)俺、ホテルはいつも部屋っ子(同部屋の後輩)だったけど、準備してグラウンドに入ったらガチガチにやる。それがずーっと続いてる。

 一番勝ちたいんじゃないの。そう思ってないと嫌な人。俺が一番勝ちたいんやっていうのを選手に見せる。だから、ああいう感じになる。

 W杯ではロッカールームで怒鳴ったっていう話もあったよね。どこかでそんな風でも、練習の時に適当だったら選手も言うことを聞かん。どこでも勝つためにやっとる。じゃないと5年も6年も続かんし、そういう(ネガティブな)話は選手からも全然聞かんから。

(今大会の日本代表への期待は)優勝するのは、もちろんよね。

 三笘とか、まだ出てないやつのもおるわけやし。伊東、堂安、久保が上げてくればね。ただ、(FWの)真ん中が欲しいよな。そこがおれば完璧やな。ブラジルみたいになるかもしれない。ちょっと前の大迫とか、高原の調子良い時とか、そういうやつが出てくれば。

 次はイラク戦か。これからの試合はそういうところも見ものよね。

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。来月、初孫が誕生予定。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

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