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「恋できない病気かと思った」 元バレー選手、滝沢ななえが家族に同性愛を告白した日

同性のパートナーと日々を過ごす今、伝えたいこととは…【写真:宮坂浩見】
同性のパートナーと日々を過ごす今、伝えたいこととは…【写真:宮坂浩見】

カミングアウト後、妹からは「もっと早く言ってくれれば」、しかし母とは…

 その後、滝沢さんはパーソナルトレーナーに転身。経験を積み、仕事が軌道にのるなか、改めてセクシャル・マイノリティであることに向き合うようになった。

「当時、所属していたジムの代表に、トレーナーとしては軌道にのってきたし、この仕事以外にも何か出来るといいよね、と言われました。そのとき初めて、『私にしか出来ないことって何だろう』と考えたんです。

 すると、私が同性愛者であると知っていた代表が、『セクシャル・マイノリティであることに悩んでいる人もいる。その人たちのために何かできたらいいね』といってくれて。そのアドバイスがしっくりきたんです」

 ちょうどそのタイミングで、テレビ番組出演のオファーが届く。取材の流れで彼女がいる、と伝えると「その話をぜひ使わせてほしい」と番組のディレクターから言われた。

「テレビで自分がカミングアウトしたら、同じような境遇の人の支えや勇気になることがあるかもしれない。テレビに出る機会なんてなかったので、公表するならば今じゃないかな、と思いました。

 これを、事前に母に伝えたらダメだといわれるに決まっています。でも、私は親のために生きているのではなく、私の人生。公表することに、迷いも躊躇もなかった」

 放映は、仕事中だったため観ていなかった。仕事が終わり、携帯電話を開くと、テレビを観ていた妹たちが家族用のSNSに、バンバン、メッセージを送ってきていた。

「妹には、『もっと早く言ってくれればよかったのに!』と言われました。結果論ですが、テレビで公表し、妹たちに知ってもらえたのはよかったです。家族みんなで悶々と考えることにもならず、すぐに受け入れてもらえて、私はすごく恵まれています。

 ただ、母とはそれから1年ぐらいかな。連絡が途絶えました。

 当時すでに母親でもあった妹は、『ななえが同性愛者でも、妹である私は変わらない。でも私も自分の子供に言われたら、やっぱり複雑かもしれないね』など、色々と言葉をかけてくれました。姉妹と親子では違う。お母さんの気持ちもわかってあげなよ、ということだったと思います。

 母とはその後も、特に話し合ったりすることはありませんでしたね。でも自然と、少しずつ連絡を取り合うようになり、今ではすっかり、告白する前と同じ関係ですよ」

 初めて母に告白したときに、何も言わずに受け止めてくれたこと。次に続く言葉を聞いたとき、滝沢さんにとってその事実が、何よりも大切だったのだ、と感じる。

「もしも子どもにセクシャル・マイノリティであることを告白されたら、家族として複雑な気持ちを抱いても、まずは否定してほしくない。『そうなんだね、話してくれてありがとう』の一言を言うだけで、本人の気持ちは大分違うと思います。

 自分がセクシャル・マイノリティであることを人に話すことは、すっごく勇気がいります。親に告白するとなればなおさらです。それでも行動に移したのは、本当にすごいこと。だからまずは『そっか、ありがとうね』と、受け止めてほしい、と思います」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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