バスケ人生を切り拓いた1通の手紙 沖縄の無名中学生→仙台の日本一高校へ、背中押した母の一言
バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、2024-25シーズンを18勝42敗、中地区最下位という成績で終えた。前身の東芝時代から多くのタイトルを獲得し、Bリーグ発足後も強豪としての地位を築いていたチームにとっては悔しい結果となったが、苦闘の裏では来季以降につながる希望の光も見えている。新時代の名門を支えるタレント候補の1人が22歳のシューティングガード、山内ジャヘル琉人だ。プロのバスケ選手になることを夢見ていた少年時代、高校進学のタイミングで1つの大きな決断をする。慣れ親しんだ地元・沖縄を離れ、仙台の強豪校への進学。県大会1回戦負けの中学から全国トップクラスのチームに入った背景には、自らの人生を切り拓いたある行動があった。(取材・文=青木 美帆)

Bリーグ川崎・山内ジャヘル琉人インタビュー後編
バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、2024-25シーズンを18勝42敗、中地区最下位という成績で終えた。前身の東芝時代から多くのタイトルを獲得し、Bリーグ発足後も強豪としての地位を築いていたチームにとっては悔しい結果となったが、苦闘の裏では来季以降につながる希望の光も見えている。
新時代の名門を支えるタレント候補の1人が22歳のシューティングガード、山内ジャヘル琉人だ。プロのバスケ選手になることを夢見ていた少年時代、高校進学のタイミングで1つの大きな決断をする。慣れ親しんだ地元・沖縄を離れ、仙台の強豪校への進学。県大会1回戦負けの中学から全国トップクラスのチームに入った背景には、自らの人生を切り拓いたある行動があった。(取材・文=青木 美帆)
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1本のビデオテープが、山内ジャヘル琉人の運命を決めた。
小学1年生の時、叔父が見せてくれた1986年のプレーオフ。ボストン・セルティックスvsシカゴ・ブルズを見て、山内少年は雷に打たれたような心持ちになったと振り返る。
「若いマイケル・ジョーダンがベテランのラリー・バードをギャフンと言わせた、バードがジョーダンのことを『マイケル・ジョーダンの姿をした神だ』って言った試合です。ジョーダンのプレーに感銘を受けて『もう絶対にこれだ』『絶対バスケット選手として生きていきたい』と思ってバスケットを始めました」
決して口は達者ではないが、山内は物事をよく考えて行動できる選手だ。さらに前編でも紹介した通り、ネガティブな事象に心を寄せず、前向きに進み続けることができる。
「もともとそういう性格かと言われたら、たぶんそうではなくて」
山内は少し考えた後に言った。
「ウインターカップで優勝したし、『ずっと試合に出ている選手なんだな』って思われがちなんですけど、主力として試合に出られるようになったのは3年生になってから。2年生の途中まではBチームでした。試合に出られない時期は、本当によく考えて行動していたし、そういうことをしないと絶対に試合に出られないと思っていました。ここで頭と体と心が鍛えられたのかなって思います」
山内の出身高校は仙台大学附属明成高校(以下、明成)。2005年創部と歴史は浅いが7度の全国優勝を誇り、八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)や安藤誓哉(来季より横浜ビー・コルセアーズ)らを輩出している名門校だ。
山内は高校3年時のウインターカップで山崎一渉(来季よりノーザンコロラド大)、菅野ブルース(千葉ジェッツ)らと全国制覇を達成。川崎に同期加入した米須玲音率いる東山高校との決勝戦では、劣勢だった第4クォーターに覚醒し、72-70という激戦を制する立役者となった。