親友のHCが急死、シーズン中に葬儀…涙拭い「代行」貫いた男が最後に浴びた「ジーコ」コール【Bリーグ決勝】
Bリーグのチャンピオンシップ(CS)決勝第3戦が27日、横浜アリーナで行われ、宇都宮ブレックス(東地区1位)が琉球ゴールデンキングス(西地区1位)に73-71と逆転勝ち。対戦成績を2勝1敗とし、3季ぶり最多3度目の優勝を果たした。シーズン中にケビン・ブラスウェルHCが46歳で急死。ジーコ・コロネルHC代行(42)の感動のスピーチが、悲しみを乗り越えてつかんだ歓喜を増幅させた。

Bリーグチャンピオンシップ決勝第3戦
Bリーグのチャンピオンシップ(CS)決勝第3戦が27日、横浜アリーナで行われ、宇都宮ブレックス(東地区1位)が琉球ゴールデンキングス(西地区1位)に73-71と逆転勝ち。対戦成績を2勝1敗とし、3季ぶり最多3度目の優勝を果たした。シーズン中にケビン・ブラスウェルHCが46歳で急死。ジーコ・コロネルHC代行(42)の感動のスピーチが、悲しみを乗り越えてつかんだ歓喜を増幅させた。
「感謝したい人はたくさんいますが、特に2人に感謝したい」。優勝インタビューで言った。「ハーロウとヘンドリックス・ブラスウェル」と、亡きHCの2人の子の名をあげ「あなたのお父さんは、このチームを信じていました。特別なチームになることを信じていました。人生はこの先、いいことも悪いこともあると思いますが、自分を信じることを忘れないでください。この勝利を2人に捧げたい」。
シーズン途中でHCが急死するという緊急事態。アシスタントコーチからHC代行に「昇格」したコロネル氏は、チームをまとめあげて10年来の友でもあるブラスウェル氏に優勝を届けた。声を震わせ、言葉に詰まる加藤通訳を励ましながら、インタビューは続いた。
「チームのみんなの目に涙があると思います。シーズン途中で葬儀にかけつけ、リーダーが去っていくところを悲しみ、涙を流し、それでも戦い続けた。こんなチームは、スペシャルなチームは他にないと思います」。スタンドのファンに「大きな波を作って、僕たちを優勝という岸にたどり着かせてくれた。ありがとう」とあいさつすると、横浜アリーナは「ジーコ」コールに包まれた。
「ケビンを日本一のコーチに」「ケビンのために優勝を」とチームは1つになった。前半12点差をつけられながら、終盤に奇跡的な大逆転。比江島慎は「ケビンが助けてくれた」と話し、ベンチで見守り続けた遺影とともに優勝セレモニーに臨んだ。

シーズン中に指揮官が亡くなるという緊急事態から優勝を果たしただけに、代行として指揮をとったコロネルHC氏への選手たちの感謝の思いも強い。誰よりもブラスウェル氏と親交が厚く、悲しみも大きかったのはコロネル氏のはず。それでも、チーム作りをぶらさず「ケビンのチーム」をHC「代行」のまま率いた。「この難しい状況で、個性あるチームをまとめてくれたジーコにも敬意を示したい」と、比江島はコロネルHC代行に感謝した。
「ジーコ」。もちろん「サッカーの神様」で元日本代表監督のジーコ氏からだ。「年齢を見れば分かるはず」と母国ニュージーランドメディアの質問に答えている。83年2月14日生まれ。82年W杯スペイン大会の直後だ。「82年のW杯はオール・ホワイツ(ニュージーランド代表)が初出場した大会。その大会の主役がジーコだった。父がサッカーが好きだったんだ」と説明している。
祖父がスペインからの移民だというコロネル氏だが、サッカーはやらずに幼少期から母がプレーしていたバスケットボールに熱中。小柄だったこともあって早々と指導者の道を選択し、ニュージーランドのNBLなどで実績を積んで今季開幕前、ブラスウェルHCの誘いを受けてアシスタントコーチに就任していた。
第2戦に敗れた後、琉球のフィジカルの強さを質問され、コロネル氏は言った。「バスケットボールは(米国人の)ネイスミスが作った時から(フィジカル勝負のアメリカン)フットボールとは違う。やりたいのは、テンポよくボールが動く、美しいバスケ」。常に冷静に話すHC代行が、珍しく語気を強めた。
親友を突然失う悲しみを乗り越え、その遺志を引き継いでチームを頂点に導いたコロネル氏。「ケビンのスピリットは、常に我々と一緒にいる。自分がやった一番のことは、選手のメンタルのケア。互いに助け合うこと。信じること。それが大切」。シーズン前にブラスウェルHCと掲げた目標「日本一」を成し遂げて、コロネルHC代行は胸を張った。(荻島弘一)
(THE ANSWER編集部)