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公園は「子どもにとっての逃げ場所」 川崎の元NBA選手、プロ入り直後から慈善活動に熱心な理由

NBA選手になってすぐに財団を創設。今も継続的な慈善活動を行っている【写真:B.LEAGUE】
NBA選手になってすぐに財団を創設。今も継続的な慈善活動を行っている【写真:B.LEAGUE】

子どもの頃は「公園から出る方法すら分からなかった」

『Where there’s a will, there’s a way(意志あるところに道は開ける)』という直筆メッセージが刻まれたコートに、シーズンを終えたジョンソンは毎年足を運ぶ。そして、集まった街の人々たちと交流し、子どもたちを支援する催しを行っている。

「最初にやったのは、ギブアウェイ(無償で物品を提供すること)かな。くじ引きをしたり、コンテストをしたり、食べ物を出したり、無料で髪を切ったり……毎年いろんなことをやっているよ」

 年に一度のイベントだけでなく、地元の有望選手の進学サポートなども行っているというジョンソンは、ローカルコミュニティへの支援を続ける理由について、次のように言った。

「僕らプロアスリートは、時に『人間じゃない』と思われることもあるけど、簡単に会えない存在、簡単に話しかけられない人というふうには思ってほしくない。『僕自身も人間だよ』『もちろんプロ選手としてバスケはやっているけど一緒の人間だよ』という姿を見せたいんだ。他のアスリートは違うかもしれないけど、もし僕に会いたい、僕と遊びたいと言う人がいたら、喜んでっていうスタンス。サポートも、その延長線上でやっている感じだね」

 街角の小さなコートでバスケを始め、努力を重ね、NBAという大舞台に進んだ。2023年からはアメリカの外に飛び出し、今ではかつて存在も知らなかった日本の川崎という街にいる。

「僕の世界は家と学校と公園がすべてだったし、公園しか見えない時期もあった。でも、あの公園で時間を過ごしたからこそ、ここまで来られたのかな。あの頃は公園から出る方法すら分からなかったけど、バスケがいろんな扉を開けてくれたから、行けると思っていなかったところに来られている。すごくいいことだね」

 生まれ育った場所に感謝を込めて。そして、故郷に生きる子どもたちのスーパーヒーロー、良き兄貴分であるため。ジョンソンは今日も異国の地で汗を流している。

(後編へ続く)

■アリゼ・ジョンソン(Alize Johnson)

 1996年4月22日生まれ、米国ペンシルベニア州出身。206センチ・98キロ。ミズーリ州立大学でのプレーを経て、2018年のNBAドラフト2巡目50位でペイサーズに指名。18-19シーズンにNBAデビューを果たすと、その後はネッツ、ブルズ、ウィザーズ、ペリカンズでNBAのコートに立った。23年からは韓国、プエルトリコでのプレーを経て、24年6月に川崎へ加入。主力の1人として、勝利に向けてハードワークを続けている。

(青木 美帆 / Miho Aoki)


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