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「迷いはなかった」 遠藤保仁、兄の背中を追った必然の高校選択「選手権でNo.1に」

指導者の質が上がり「大学のレベルが上がった」

「ひと昔前の代表のメンバーリストを見たら、80~90%が高校出身者で占められていたと思うけど、今は50%いるかどうか。良い選手が高校ではなく、クラブユースを選択しているということだと思うけど、その理由の一つは高校選手権の魅力が薄れてきているのかなぁって思いますね。僕らが小さい頃や高校の時は高校選手権が夢の舞台で、目標でもあったけど、今はクラブユース選手権とか目指すところがいろいろとある。

 あと、指導者の質が上がって、大学のレベルが高くなったので、いろんなことを経験してからでもいいというマインドの選手が増えているのも大きいですね。その結果、技術だけじゃなく、人間力みたいなのも評価されるとか、スカウトの目線も昔とはだいぶ変わっているのも影響しているかなって思います」

 部活出身の遠藤は、「高校出身の自分からすると高卒ルーキーの良い選手がもっと出てきてほしいなと思いますね」と思いを語る。遠藤自身、子供の進路は本人に選択を任せたという。環境面が充実する一方、情報が簡単に大量に得られる時代になり悩むことも増えているだろうが、最終的には「自分の意志」という部分は、昔も今も変わらない。

■遠藤保仁

 1980年1月28日生まれ、鹿児島県出身。3人兄弟の三男として幼少期からサッカーに熱中し、鹿児島実業高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルス加入。1年目からJリーグで活躍すると、京都パープルサンガ(当時)を経て2001年にガンバ大阪に完全移籍した。司令塔として攻撃的スタイルの中核を担うと、J1優勝2回、2008年AFCチャンピオンズリーグ制覇などクラブ黄金期の確立に大きく貢献。日本代表でも長年にわたって活躍し、W杯に3度出場した。国際Aマッチ152試合出場(15得点)は歴代最多記録となっている。昨年10月にジュビロ磐田へ期限付き移籍、プロ24年目の今季もレギュラーの1人としてJ1昇格を果たしたチームを支えた。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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