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「迷いはなかった」 遠藤保仁、兄の背中を追った必然の高校選択「選手権でNo.1に」

自分の時より「目指すところも高くなっている」

 質の高い選手が部活を選んでいたというのは、当時の年代別日本代表選手の所属先を見ても一目瞭然だ。1999年ナイジェリア・ワールドユース(現・U-20W杯)の出場メンバーに遠藤ら1979年度生まれの「黄金世代」は14人いたが、ユース出身者はMF稲本潤一(ガンバ大阪ユース)とMF酒井友之(ジェフユナイテッド市原ユース)の2人のみだった。今では考えられないが、20年以上前は優秀な選手は高校を選択していたのだ。

 では、高校からプロに行く際、遠藤は横浜フリューゲルスに加入しているが、選考の基準は何かあったのだろうか。

「一番は、単純にフリューゲルスが好きだったからですね。プロサッカー選手になりたいと思った時、フリューゲルスがフランチャイズとして鹿児島でも試合をしていたので、よく観に行っていたんです。それで好きになったので、もしヴェルディ(川崎/現・東京ヴェルディ)が来ていたらヴェルディを好きになっていたと思う。やっぱり昔は目の前で試合を観られるというのがすごく大きかった。それにゾノ(前園真聖/鹿実出身)がいたし、松澤先生の推薦もありました。フリューゲルスが熱心に誘ってくれていたのは聞いていたので、そこはまったく迷いがなく、自分の好きなクラブに行けて嬉しいという感情が大きかったです」

 遠藤たちの時代は、強豪校からのプロ入りが、プロサッカー選手になる主要な手段だった。今もそれはプロになるための手段の一つだが、子供たちの目指す先が少し変わった。

「昔は、中高生が目指すところはJリーグだったけど、今は世界をターゲットにしている子供が多い。世界を目指せばおのずと意識が高くなるだろうし、成長の速度も早くなる。指導者もいろいろな情報を得て、良いトレーニングを取り入れて、選手の環境が昔よりも良くなっているので、自分らの時よりもみんな上手くなっているし、目指すところも高くなっていますね」

 環境が良くなり、技術レベルの高い選手は増えた。ただ、最近はユースの選手も含めて高校を卒業して、すぐにプロへと舵を切らず、大学に進学する選手も多い。最近ではMF三笘薫(川崎フロンターレU-18→筑波大学)をはじめ、ユース出身ながら大学で力を蓄え、即戦力としてプロに入り、素晴らしいパフォーマンスを見せている。

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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