なぜ大企業を辞めてまで米国へ 異端の野球選手2人が「もったいない」と言われた選択
「もしダメだったら……」、失敗のリスクはどう想定した?
――挑戦は当然、必ず成功するわけではない。もしダメだったらという想定はしていたのか。
谷田「もちろん、絶対叶えるという気持ちで行く。でも、盲目なわけじゃないのでプロ野球選手、メジャーリーガーになれない可能性の方が高いのは重々承知していた。だけど、挑戦したかった。実際に(目標が叶わず)どうだったかといえば、周りの人が言っていたような悪い風にはならなかった。そこまで必死になって頑張って成長を求めなくてもいいお金をもらえるからもったいなかった、という感情にはもちろんならない。そんなのは求めてないし、結果の分だけお金をもらいたかった。仕事って、きっとそういうものだと思う。だから当然の状況に身を置かれただけ。特に困ったこともない。ここから先も仕事は頑張ったてうまくいけば、お金はもらえるけど、そうじゃなかったらもらえない。今も当たり前の状況にいるだけ。特段、不思議なことは起きてない」
――内田はこれから挑戦する立場。どんな想定をしているのか。
内田「ダメだった場合ももちろん想定している。ただ、人生はわりとゴールを見て、道筋を立てていくけど、具体的に何をするかというのは何も考えてない。早実、早稲田でやってきた環境、学んできたもの、周りから受けてきた影響を含め、正直、自分が野球でダメになっても生きていける自負はあるので。自分のキャリアで何ができるか、それはその時に考えればいい。自分の人生がダメになることはないと思えることは周りに恵まれている。もったいないと言われても、極論はそれ以上に稼ぐ自信もあるので」
谷田「ダメになるだろうなという想定はあるけど、何をやるかは決めてなかった。その時に感じたものでなりたいことが生まれてくるかなと」
内田「谷田について客観的に感じたのは、社会人で続けてプロ挑戦してダメで会社員になった時、出世するかもしれないけど、その枠から飛び抜けることはない。でも、谷田には飛び抜ける才能は凄くある。だから、自分はもったいないとは思わなかったし、むしろ普通とは違う、いい意味でぶっとんだものがある。そういう思考があるから、会社にいる方がもったいないと思っていた」
――レールに沿って生きる人とそうではない人の当たり前の前提が違う。
内田「自分は結構、羨ましがられたというか。チャレンジをすることで勇気をもらった人が結構いたので、そういう人もいるんだなと思った。この前、天ぷら屋に行ったら80歳くらいの店主に話をしたら『90歳までやろうって思えたよ』と言われたり(笑)」
谷田「いい話だ。そういうのはスポーツ選手のあるべき姿だよね。周りの人はそういう人が多かったかな。心配する人もいるけど、年が近いほど応援してくれたり、凄いなと言ってくれたり。全く知らない人の方がもったいないと言われることが多かったな」
(21日掲載の第2回に続く)
◇内田 聖人(うちだ・きよひと)
1994年3月1日、静岡・伊東市生まれ。25歳。伊東シニアで日本一を経験。早実高2年夏に甲子園出場し、背番号1を着けた3年夏は西東京大会で高山俊(現阪神)、横尾俊建(現日本ハム)らを擁する日大三に2失点完投も準V。早大では1年春に大学日本一を経験したが、3年時に右肘を故障。社会人野球JX-ENEOSに進み、故障の影響もあり2年で戦力外に。以降は社業に就き、天然ガスの営業マンを務める傍ら、個人で1年間トレーニングに励んで復調。今年2月から1か月間、米国でトライアウトに挑戦し、2Aクラスの独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約。会社を退社し、NPB、MLBに挑戦する。右投右打。
◇谷田 成吾(やだ・せいご)
1993年5月25日、埼玉・川口市生まれ。25歳。東練馬リトルシニアから慶応高に進学。通算76本塁打を放った。甲子園出場なし。慶大ではリーグ戦通算15本塁打をマーク。4年秋にドラフト指名漏れを味わい、社会人野球のJX-ENEOS入り。高校、大学、社会人すべてのカテゴリーで日本代表を経験した。社会人3年目の18年3月に退社し、MLBトライアウトに挑戦。複数球団の調査を受けたが、契約に至らず。帰国後は四国IL徳島でプレー。昨秋のドラフト会議で指名ならず、引退した。一般企業20社以上から興味を示されたが、今年1月にIT企業「ショーケース・ティービー(現ショーケース)」入社。WEBマーケティングを担う。右投左打。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)