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箱根駅伝の先に仰天計画「アメリカ横断駅伝」 ロッキー山脈越え…幻の本戦、残った“予選会”が唯一無二に

アメリカ横断駅伝は断念も…箱根駅伝は唯一無二のレースに発展

「四大校駅伝競走」と称された第1回。授業優先のために往路がスタートしたのは午後1時だった。箱根では夜になり、真っ暗な道を地元住民が松明を灯し、時には伴走して選手たちを支えたという。過去の詳細な記録が載っている公式サイトによれば、往路優勝の明大がゴールしたのは午後8時30分36秒。最下位の4位だった慶大は9時53分31秒で10時近かった。

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 復路でも9区まで明大がトップを守ったが、10区で東京高師がアンカー茂木善作の快走で大逆転。総合タイム15時間5分16秒で初代箱根駅伝優勝校となった。今年1月3日に青学大が樹立した新記録は10時間37分34秒、もちろん道路状況も違うので比べるのは無理もあるが、100年を超す歴史は感じられる。

 箱根駅伝を予選として挑戦するはずだったアメリカ横断駅伝は、資金面などで断念。結局、本戦は行われることなく予選だけが残った。それでも2年目以降は次々と出場校は増え、箱根駅伝は唯一無二のレースとして発展していった。

 金栗が目指した「強い長距離ランナーを育てる」という目標は、アメリカ横断駅伝の構想が消滅した後も箱根駅伝で生き続けている。1912年ストックホルム五輪の惨敗から日本の長距離選手の強化に力を尽くしてきた「日本マラソンの父」は、箱根から巣立ったランナーが五輪や世界選手権で活躍するのを見て喜んでいるに違いない。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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