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箱根駅伝の先に仰天計画「アメリカ横断駅伝」 ロッキー山脈越え…幻の本戦、残った“予選会”が唯一無二に

「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第5回は「箱根駅伝」をひも解く。

箱根駅伝の先にあった仰天計画とは【写真:中戸川知世】
箱根駅伝の先にあった仰天計画とは【写真:中戸川知世】

「THE ANSWER 陸上PLUS|COLUMN」 荻島弘一の陸上クロニクルVol.5

「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第5回は「箱根駅伝」をひも解く。

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 箱根駅伝の予選会が今年も10月に行われる。前回大会10位までのシード校を除く、関東の大学が参加。ハーフマラソンを走り、チーム10人の合計タイム上位10校が正月の箱根駅伝出場権を手にする。「予選」から注目される箱根駅伝だが、実は大会が始まった1920年(大正9年)当時は箱根駅伝そのものが「予選」として行われていた。

 1912年ストックホルム五輪マラソン代表で、初の駅伝レースといわれる1917年の東海道駅伝徒歩競走で関東組のアンカーとして勝利に貢献した金栗四三は後輩たちと新しい駅伝競走を考えていた。すでに下関―東京間の走破にも成功していた金栗らが考えたのは、世界を驚かす「アメリカ横断駅伝」だった。

 サンフランシスコからアメリカ大陸を東へ走り、ニューヨークへゴールするという壮大な計画。その選手を選抜するために、予選会が必要だった。複数のコース案の中から実際に行われたのが、東京と箱根の往復。ロッキー山脈越えという難所をクリアするために「天下の険」と呼ばれた箱根の山攻略が必要だと考えたのだ。

 第1回の箱根駅伝は1920年2月14日、往路がスタートした。参加したのは金栗の母校、東京高師(現筑波大)と早大、慶大、明大の4校だけ。金栗らは関東の多くの学校に声をかけたが、当時20キロもの距離を走れる学生は少なく、参加校は限られた。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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