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「ラグビーって…ええなぁ」 悲運の闘将・宮地克実の真相…敗北の果てに辿り着いた“肯定”

野武士軍団の礎 光の当たらない者への眼差しを持ったリーダー

 だが、その風体に騙されてはいけない。バナナの叩き売り風の見た目の裏に、この人の持つ繊細さが隠されている。その見た目は“着ぐるみ”のようなものだ。初見とは真逆の姿を何度も見てきた。

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 これは伝聞なのだが、とある大学教授の話を人づてに聞いたことがある。大学で教鞭をとる前に、大阪・四条畷高校の教師をしていた時代の教え子の一人が宮地さんだった。その教授の知っている宮地少年は「本気で進学を目指せば京大に行けたはず」という秀才だったという。そんな教師からの評価や期待もあったが、宮地少年は同志社大へ進み、ラグビーの深淵へとどんどん嵌り込んでいった。

 そんな賢さと、物事の本質をしっかりとブラさない姿勢を強く感じさせたのが、現クボタスピアーズ船橋・東京ベイの大昔のイベントだった。当時の国内最高峰だった「東日本社会人リーグ」昇格を祝うパーティー。新たに最強リーグに参入してきたチームの昇格イベントであり、ラグビー界のお歴々も集まるために、記者として取材に赴いた。

 昇格は勿論だが、チームが新たなステージに進んだこともあり、クボタ本社側は新シーズンへ向けて往年のスター選手、藤田剛さんを監督に招いた。パーティーでスピーチに立った協会、ライバルチームの招待客は次々と昇格と藤田監督就任を称えていた。その中で、宮地さんのスピーチだけは異質のものだった。

「今日の集まりは、なんや荻窪さんのお祝いかと思って来ましたわ。東日本リーグ昇格で、おめでとうと言ってあげたいのは荻窪かと思ってましたんで」

 すこしとぼけた口調でのスピーチに会場が大笑いする中で、独り勝手に頷いていた記憶はいまでも鮮明だ。

「荻窪さん」とは、東日本リーグ昇格までクボタの監督を務めた荻窪宏樹さんのことだ。監督時代、初めて船橋のクボタグラウンドにお邪魔したのだが、不肖“草ラグビー”で背番号9をつけた身には、荻窪宏樹はまさに伝説の男だった。國學院久我山時代に高校ジャパンに選ばれ、明治大とエリート街道を突き進んだ。その後、怪我などもあって選手としては不遇の時代を過ごしたが、その存在は東京の片隅で楕円球を追うラグビー小僧も十分に認識していた。そんなレジェンドに「じゃあ、こっちで話しましょうか」と案内されたのは、グラウンドの隅に立つ、おそらく1階が用具置き場になっていた木造小屋の2階だった。そこは、30年取材を続けている中で、今でも経験のない畳敷きの部屋。そこで、このレジェンド9番はあぐらをかいて、気さくにチームの取り組みを話してくれた。

 そんな経験もあって、東日本リーグへとチームを押し上げた荻窪監督へは個人的にお祝いを伝えたいと思っていた会場で、ただ一人“前監督”を労い、称えたのが宮地さんだった。太田のグラウンド、試合会場でお会いしたときのやり取りからも、うっすらと感じていた「脚光を浴びない者もしっかりと見つめる繊細さを持つ人」という宮地克実という男の本当の姿がはっきり分かったのが、この夜のスピーチだった。

 そんな眼差しは、勿論チームにも注がれていた。当時の三洋電機ラグビー部は、すでに自分たちを「野武士」と呼んでいたが、そこにはライバル神戸製鋼のように選りすぐりの選手たちが名立たる大学から集まるエリート集団とは一線を画す思いがあった。

 神戸製鋼(現コベルコ神戸スティーラーズ)の司令塔・平尾誠二と対峙した大草良広は、目黒高―法政大と名門を渡り歩きながらドロップアウトして、一度はメーンストリームから離れながら太田市のチームに拾われた。黄金時代にFBとして活躍して、現在スピアーズのコーチを務める田邉淳もクライストチャーチ教育大を卒業後にプロ選手としてのチャンスを探して三洋電機にやって来た。大東文化大で旋風を巻き起こしたシナリ・ラトゥら当時は今ほど多くなかったトンガ人留学生が太田に集まったのも、地理的な理由や大東大を率いた三洋OBの鏡保幸監督の影響だけではなく、どこからか流れてきた者を温かく迎える包容力のような空気感が、このチームにはあったからだ。

 野武士軍団と自称していたが、むしろ本当の意味で「エグザイルス」と呼んでいいチームだった。“誰もが居心地がいいチーム”。これは三洋電機ラグビー部が生んだ地理的な風土でもあり、宮地さんのような光の当たらない者への眼差しを持ったリーダーがいたから培われたチーム文化でもあった。

 今回のご不幸で、どこでも目にするのが「神戸製鋼劇的逆転優勝の悲運の指揮官」といったものだ。平尾さん率いる神戸製鋼との1990年度の全国社会人大会決勝戦。残り1分でのよもやの逆転負けを喫した時の三洋電機監督が宮地さんだった。だが、そこに指揮官・宮地克実の真相があるとは思わない。確かにあまりにも劇的な敗戦であり、このチームの長らく優勝を果たせなかった“シルバーコレクター”という歴史は、指導者・宮地克実の足跡とオーバーラップするかも知れない。だが、この人の残した名言の中でも忘れられないのは、すでに勇退していた1995年度全国社会人大会決勝戦の会場で語った一言に尽きる。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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