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初の首都圏開催でチケット完売、協賛企業も倍増した日本選手権 カーリング界の「大冒険」が成功した3つの要因

カーリングの日本選手権が9日まで神奈川・横浜BUNTAIで行われ、女子はフォルティウスが3年ぶり3回目、男子はSC軽井沢クラブが2年ぶり11回目の優勝を果たした。ともに9月に行われる五輪日本代表候補決定戦に進んだ。初めてとなる首都圏開催となったが、「氷」「観客」「資金」の3つの課題をクリアし、大会実行委員長の酒巻智氏も「成功と言っていい」と振り返った。(取材・文=荻島 弘一)

3年ぶり3回目の優勝を果たしたフォルティウス【写真:(C)JCA/H.IDE】
3年ぶり3回目の優勝を果たしたフォルティウス【写真:(C)JCA/H.IDE】

カーリング日本選手権

 カーリングの日本選手権が9日まで神奈川・横浜BUNTAIで行われ、女子はフォルティウスが3年ぶり3回目、男子はSC軽井沢クラブが2年ぶり11回目の優勝を果たした。ともに9月に行われる五輪日本代表候補決定戦に進んだ。初めてとなる首都圏開催となったが、「氷」「観客」「資金」の3つの課題をクリアし、大会実行委員長の酒巻智氏も「成功と言っていい」と振り返った。(取材・文=荻島 弘一)

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 フォルティウスのスキップ吉村紗也香の放ったウイニングショット。ゆっくりとハウスに向かうストーンの動きに合わせて、手拍子が起きた。中央でピタリと止まると、手拍子が大きな拍手へ。9日まで初めて首都圏で行われたカーリングの日本選手権。26年ミラノ・コルティナ五輪を目指す戦いは、最高の盛り上がりで幕を閉じた。

 カーリング界にとっては「大冒険」だった。84年に始まった日本選手権は、過去41回のほとんどが北海道か軽井沢開催で、他は青森で2回行われただけ。他の地域で開催されたことはない。「初の首都圏」どころか「カーリング地域」以外では初の試みだった。

 これまでは「見せる」大会ではなかった。あってもわずかな観客席には、家族や知人、関係者ぐらい。初めてアリーナでの「興行」だった。日本カーリング協会副会長で大会実行委員長の酒巻智氏は大会前に課題とした3点「氷」「観客」「資金」をクリアして「成功と言っていい」と初のチャレンジを振り返った。

 氷は素晴らしかった。大会序盤こそ氷上のゴミによってストーンが失速するなどもあったが、その後はスタンド入り口の扉の開閉枚数を制限するなどの徹底した温度管理で氷の状態も安定。今回はアドバイザーとして北京五輪で製氷を担当したチーフアイスメーカーをスコットランドから呼んだが「世界選手権もできる施設であり氷であると言っていただけた」と酒巻氏は満足そうに話した。

 観客数も開幕前にチケットが完売するなど不安を払拭する人気。8日間で延べ1万3100人がスタンドで生のカーリングを楽しんだ。「思った以上に観客のみなさんがカーリングを分かっているなと感じた。当日券はないのかという問い合わせも連日いただいた」と、同氏は大きな手ごたえを口にした。

 資金面も協賛社が例年の倍以上の24社が集まった。収支についてはこれからとしながらも、同氏は「もう(アリーナ開催が)できないということはない。来年以降に希望が持てる」と、継続的なアリーナでの開催に前向きなコメントをした。

 会場には観客のために大型ビジョンを用意。ハウスを真上から捉えた映像で、横からでは分かりにくい戦況を観客に伝えた。選手たちの会話がアリーナ内に響くとともに、決勝では解説の配信サービスもあった。「タイマーが見にくかった」と酒巻氏は細かな課題もあげたが、生観戦の楽しさを味わったファンも多かったはずだ。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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