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とび職の仕事中に切断した左足 スポーツと無縁の人生は40歳で激変、不惑を過ぎて挑んだ“世界”

定時まで仕事をこなしてから練習に励んでいる飯倉、競技に熱中することで仕事の疲れも吹っ飛んだ【写真:荒川祐史】
定時まで仕事をこなしてから練習に励んでいる飯倉、競技に熱中することで仕事の疲れも吹っ飛んだ【写真:荒川祐史】

4人の子どもを持つパパスポーツを通じて親子の絆を深める

 チャレンジ精神はスポーツを通じて培ったものだ。

 最初はうまくできなくて当然。あきらめてしまっては先がない。競技を遅くから始めた分、小さなことでも一つひとつ課題をクリアしていくことに喜びを感じた。上達していくことが楽しいと思えた。

 できない理由をつくることは簡単。仕事も家庭も、バレーボールへのモチベーションとした。とび職から物流の会社で働くようになり、定時までしっかり仕事をこなしてから練習に励んでいる。競技に熱中することで仕事の疲れも吹っ飛んだ。本気の取り組みに、周りも協力してくれた。国際大会への遠征となると会社は休みを認めてくれ、仕事との両立をうまく図ることができた。

 飯倉は4人の子どもを持つパパでもある。長女と二女はバレー経験者であり、過去には中学のバレー部で一緒に練習したことも。逆に二人には飯倉が所属する大阪アタッカーズの一員として試合に出てもらったこともある。長男、二男を含めてスポーツを通じて親子の絆が深まっていった。

「宝である家族の存在なくして頑張ることはできませんから。嫁さんはいまだにバレーボールのルール、まったく分かってないですけど、一生懸命に応援してくれます。何も言ってないのに、わざわざ大会に来てくれることもあります。そりゃあうれしいですよね。家族がいるから頑張れる。嫁さんにも子どもたちにも感謝しています」

 2020年はコロナ禍でスポーツ界もストップとなり、東京パラリンピックは1年延期となった。練習場所を確保できないピンチも、周りの協力もあって乗り越えることができた。どんな状況にあってもチャレンジを続ける。ひとえにそれはパラリンピック出場という目標が、自分のエネルギーとなっていたからだ。

「関西で一緒に練習していたメンバーが兵庫の山奥にある小屋を借りて、そこに簡易的なコートを張って一緒に練習しました。仕事が終わって1時間半から2時間かけてそこに行って、練習して大阪の自宅に帰ったら大体0時を回っていましたね。翌朝5時に起きて仕事に行くという生活を1年間やりました。その意味では(パラリンピックが)1年延期となったことも、僕にとっては大きかった。いっぱい練習できましたから。一番ヘタクソな僕が何とか東京パラリンピックのメンバーに入ることができました」

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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